12年前、卒業制作で音楽雑誌を作って学んだこと
12年前の今頃は、専門学校の卒業制作に取り掛かり始めた時期だろうか。音楽系専門学校の「音楽ライター・編集デザインコース」に通っていたわたしの卒業制作は、「音楽雑誌制作」。これをしたいがために、この学校に入学したようなものだった。
雑誌コンセプトも学生で決め、取材のアポも取材もすべて学生だけで行った。いま考えると、取材すら同行しないというのは、だいぶ学校も怠m・・・チャレンジャーだと思う。
最初の編集会議で先生はこう言った。
「2冊作ったっていいよ。紙も自由に選べばいい。縦書きか横書きかも、ページ数も自由だからね。どんな作り方をしてもいいから。ただ、ひとつだけ決まっていることがある」
名前は「HARMONIA」であること。それ以外の決定権はすべて、我々クラス11人の手中にあった。
第1の難関・コンセプト決め
まず雑誌のコンセプトを決めることになった。だが11人全員、俺が俺がと前に出るタイプではなく、どちらかというと全員が常日頃ダルそうにしてるけれど他者に気を使うタイプの人間。週に2回の3時間がぐだぐだと過ぎていく。なかなかヘヴィな1ヶ月間だった。
とにかくキャラクターがばらばらな11人だった。クラブに足を運ぶような美人もいれば、がちがちのバンギャもいて、アニメが大好きな人間もいれば、ジャニヲタもいた。音楽性でまとめることなど不可能だ。
コンセプトを模索する時間はとにかく苦痛だった。この時間をさっさと終わらせたいという意識が全員に芽生えたことで、「ばらばらなこの11人の共通点」を探し始めた。その結果、クラスのムードメーカー的な女子が口癖のように言う「ほらあ、うちらネガティブじゃん? じつは暗いじゃん?」から着想を得て、「ネガティヴ人間に送る音楽の楽しみ方」というコンセプトに落ち着いた。
リーダーの必要性
11人全員が、あまり群れるのを好まないタイプだったため、自然と一人ひとりが異なる企画を立てることになっていった。先生たちは「これまでの子たちはひとつの企画を複数人で進めてたけどね」と驚いていたが、びっくりするくらい11人全員が共通の音楽趣味を持っていなかったのだ。
とは言っても仲が悪いわけではないので、「手伝ってほしい」と言えば快く付き合った。いま考えてみると、平和でいいクラスだったと思う。
だがそんな感じで全員が全員ダルくてゆっるいへらへらヤングだったため、秋になってもなかなかまとまらず、仕方なくわたしがやんわりと仕切るようになっていった。とは言っても「○○ちゃんそろそろデザイナーさんに相談したほうがええんちゃう?」とか、「表紙の撮影日いつにする?」みたいな超控えめ。牽引するというよりは潤滑油的な感じでやんわり誘導していった。
そんなぬるっとした方法でなんとか完成にこぎつけられたのは、みんな自立心があるだけでなく、いいやつらだったからだ。集団にリーダーは必要だとこのときつくづく痛感した。
「15」にあやかろう
とにかく我々が苦労したのは「コンセプトを立てること」だった。学生の我々はコンセプトの重要性をあまり理解しておらず、先生たちが首を縦に振るようなオリジナリティがあって具体的なコンセプトをなかなか立てられなかった。
そんな私たちが苦肉の策として出したのが「15」。HARMONIAは我々の代で15号目とのことなので、この「15」にあやかろう!と11人で決めた。先生たちからは「10号目や20号目ならアニバーサリー的な持ち上げ方をするのはわかるけど、15でそれは図々しくない? 15でアニバーサリー感を出すのは弱いよ?」と言われたが、「いや、図々しいんで私たち」と持ち前のへらへらっぷりで押し切った。
その結果できたのがこちらの表紙。
ターンテーブルの上に、ケーキのかたちをしたオルゴールを乗せている。いちごの赤は「音楽の楽しみ方」の象徴。それ以外の色味が黒いのは「ネガティブ」を表している。ちなみにこのケーキ型オルゴールは下北沢の雑貨屋さんでバンギャルちゃんがレンタルしたもので、わたしが担当した下北沢特集とリンクさせてくれたそうだ。
ちなみに裏はこんな感じ。
当時流行りはじめた数字ケーキ。ひとつ4000円で、ふたつで8000円(税抜き)。学校の経費で買った。撮影班で美味しくいただきました。表紙は地味で、裏表紙は派手というところも「ネガティブ人間に捧げる音楽の楽しみ方」を表している。ただ単にひねくれているだけだったかもしれない。
あと「15」にあやかったのは、全員が原稿を持ち寄る唯一のページである「レビューページ」。わたしが音楽雑誌に憧れてたので、初期の段階から「みんなのレビューが集まったページを作りたい」と提案していた。
だけどここでもまた「ピックアップする作品のコンセプトは?」という先生からのお言葉。その結果、「15」にまつわる作品のレビューを「15」本掲載することにした。
15枚目のシングル、15曲入りのアルバム、15人の巨匠監督が集まって作った映画、15人のサングラス男が出てくる映画、15歳の時に心を奪われた小説、15回映画館に足を運んだ映画、3分15秒からの展開が面白い……などなど、なんとか「15」の穴をすり抜ける。先生たちも苦笑いだったが、全部のレビューにわざとらしく「15」が入っている様子は超絶キュートだ。
若者のアンテナの鋭さ
この雑誌で取り上げたものは、まだ市民権を得ていない、言ってしまえばサブカルチャーだった。だがこの雑誌を制作してから3年後には、夏フェス、2.5次元ミュージカル、ニコニコ動画、アニソン、声優アーティスト、CINRA.NET――などなど、当たり前のように市民権を得ていた。
「目次のページには美少女を載せたい!」ということで、クラスきっての激モテ美少女に登場してもらった。若いバンドのミュージックビデオには美少女がつきもの、という2010年代後期の風潮ともつながっているのでは。(わたしはART-SCHOOLのジャケットのイメージだったけれど)
やはり若者は次に市民権を得るものを先取りする――というよりは、若者がムーブメントを作ることで市民権というものが生まれてくるのだな、と感心するのであった。
ページから放たれる制作者の性質
けっきょく紙質などを選ぶところまで手が回らず、1つ上の先輩と同じものにしてもらった。これまでの先輩たちが作らなかったサイズにしたいという、これまたひねくれた考え方があったので、B5という雑誌にもあまりないサイズに着地した。出来上がったものを見たときはみんなで「紙質も相まってバンスコみたいだね」なんて笑った。
ほぼ個人プレーみたいなものだったけど、11人の異なる個性がお弁当箱のように詰まったこの雑誌は、とても人の血が通っていて、デザインを詰めているページと、詰めていないページの差も、ページ担当者の性格が出ていて微笑ましい。
わたしの担当したページは驚くくらい「見出し」や「キャッチ」がない。いまでも見出しやキャッチをつけるのは苦手だから、この時から自然と避けてる部分があったのだと思う。紙媒体だから、見出しをつけてればもっとインパクトあるのになー。キャッチがあればもっとメリハリがあっただろうな。
卒業制作はライターの原点
この卒業制作がなければ、2014年から運営しているワンタンマガジンを立ち上げることもなかっただろう。あの経験があったからこそ、踏み出そうと思えたのだ。
ライターとしていろんな媒体さんとお仕事をするうえでも、ワンタンマガジンを動かしていくうえでも、コンセプトの重要性を思い知る日々だ。耳に胼胝ができるくらい「コンセプト」と言われ続け、まじでひたすらうんざりだったが、そのおかげで今非常に助けられている。
卒業制作は、学校で学んだことを社会人になっても続ける人間にとって、じっくりと時間を使えて、学校の経費で好き勝手できるという、超絶贅沢な経験だ。高い授業料を払っただけあるし、「二十歳すぎてからこんな高い授業料を払って学校に通ったんだから諦めるわけにいかない」というのもモチベーションになっていた。
わたしの青春であり、今のわたしのゼロを作ってくれた卒業制作。ずっとずっと人生の宝物だ。
最後までお読みいただきありがとうございます。