見出し画像

人の手ではないとできないこと

家のトイレが新しくなった。さまざまな機能が付いている。操作パネルが壁に取り付けられたが、どこをどうすればいいのかわからないので、何も触っていないし、何ができるのかも理解していない。ただ、トイレ側でこちらの動きを察知して自動で水を流してくれる機能にだけお世話になっているというか、その機能の止め方すらわからない。

そんな新しいトイレだが、さっそく詰まってしまった。ラバーカップで詰まりは解消できたが、実はこのラバーカップ、和式用と洋式用があるらしい。

あれ、私がさっき使ったこれは……。まさかの和式用なのでは……。危ない。新しいトイレを即効で壊す危険性があったではないか。恐ろしくて震える。

とりあえず洋式用を早めに入手することにして、しかしだ。どんなに機能が増えた高性能なトイレでも、物理的にトラブルが起きてしまうと、機械ではどうしようもないのだ。人の手を使ってなんとかしないといけない。

AIなんかも、肝心なところはうまいことできなかったりして、最終的には人の手で修正しなくてはならない。いつかそういう修正がいらなくなるほど進化するのかもしれないが、それでも、機械がどう頑張ってもできない、人の手にしかできないことは残るだろう。

人の手の臨機応変さ。人の手の力加減。人の手の「あっ」と思ったら考えるより早く引っ込めることができる脊髄反射。そういう反応を必要とする場面がなくなることはないだろうから、人としてはそこを誇っていくのがいいのではないだろうか。

人にしかできない微妙な判断が必要なところほど面倒なので、機械にやってほしかったりするだろうけれど。


お気持ち有り難く思います。サポートは自費出版やイベント参加などの費用に充てます。