(掌編)春を散らして

 春が、散った。

 しゃっ、しゃっ、しゃっ。
 紙を裂く小気味よい音が部屋に響く。私は無言で、パンフレットを破っている。
 ここにある学び。充実した環境。打ち込める研究。楽しいサークル。素晴らしいキャンパスライフ。学生達の、笑顔の写真が見える。でも破る手は止めない。自慢の最先端な研究活動も、ミスキャンパスの美しい立ち姿も、無残に紙屑となっていく。1冊破り終えて、手を止めた。私の前に、紙屑の小さな山ができている。パンフレットはまだ何冊もある。次のパンフレットを手にする。

 しゃっ、しゃっ、しゃっ。
 2冊目を破る。オープンキャンパスに行った。初めて入る建物に興奮した。先輩は親切にアドバイスをくれた。たくさんあるサークルはどこも楽しそうに見えた。ここに受かれば、私も先輩達みたいに、いきいきと学生生活を過ごせるんだ。私の中には、希望しかなかった。

 しゃっ、しゃっ、しゃっ。
 3冊目も順調に紙屑へと化していく。その紙片の中の、誰かの瞳と目があった気がした。先輩になったかもしれない人。紙の山に手を突っ込んで、取り出す。かっこよかった。学校案内パンフレットの写真に選ばれるくらいだ。そりゃ見た目のよい人を選ぶだろう。ここに受かっていれば、私は彼と出会えていたかもしれない。素敵な先輩に憧れの気持ちを持てたかもしれない。しばらく見つめてから、イケメンの写真を紙屑山に突っ込む。もう二度と見ない顔。私と関わることはない人。

 しゃっ、しゃっ、しゃっ。
 4冊目になると手が疲れてきた。パンフレットの中身なんかどうでもよくなってきた。事務的に紙を破り続ける。ここは偏差値が高いから、記念受験したところだ。実際、試験は難しかった。きっとかすりもしなかっただろう。

 しゃっ、しゃっ、しゃっ。
 5冊目。ここはいけるかと思ったのだ。だから通知を受け取った時の衝撃は大きかった。まさかと思った。回答が一つずつずれてたとか? そうであってほしいと思った。私の学力が足りなかったわけじゃない、そう思いたかった。紙を破る手に力が入る。
 
 最後に残った1冊。とりあえずもらったけど、あまり見ていなかった1冊。私はそれを横によける。そして、紙屑の山を眺める。少なくはない量の紙から生まれたゴミを、眺める。今まで私に夢を与えてくれていたパンフレットが、ただのゴミに変わってしまった。夢と希望のためにこれまで行ってきた努力は、報われなかった。費やした時間は無駄だったと、言われているような気になった。

 紙屑山に両手を入れた。そして思いっきり上に振り上げる。紙屑は舞い上がり、ひらひらと落ちる。紙屑達をかき集めては宙に舞わせる。何度も、何度も。キラキラしたキャンパスライフのかけらが、はらはらと床に落ちる。そこに行きたかった。そこで学びたかった。そこに所属できる私になりたかった。いくつもの欲望が、無慈悲に落ちる。

 散らばった紙屑の下に、先ほどよけた1冊が見えた。進学先のパンフレット。その裏表紙には、白地に小さく大学名のロゴだけが印刷されている。カラフルな紙屑の中で、やけにその白が目立った。紙吹雪を振り落としながらそれを手にして、開く。滑り止めだから、行かないと思っていた所。特徴も知らない。なのに、私はそこに行くしかないのだ。ぱらぱらとめくるパンフレットの内容は、正直全然頭に入ってこない。それでも、そこにも学生達の笑顔があることだけは、わかる。

 パンフレットを手にしたまま、立ち上がる。両足で、紙屑をめちゃくちゃに蹴飛ばした。ぱらぱらと舞っては足元に落ちる紙片。かつて美しかった、今はゴミになった私の希望達。気が済むまで蹴り上げたら、息が切れた。もういいや。全部ゴミ箱に、捨てよう。

 もう一度、パンフレットの白を眺める。そうだ、私も白だ。やりたいことも考えていたことも憧れていたことも、全部なくして真っ白だ。真っ白な私が、何も持たずに、この小さなロゴの中に飛び込んでいくのだ。
 なんの興味も持てなかった場所で、私はどんな私になれるのだろうか。

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