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(劇評)本物を定義することは難しいが

劇団ドリームチョップ「プロゲキ!ドリームチョップLIVE」プロゲキ!6・16『Authentic(オーセンティック)』の劇評です。
2024年6月16日(日)14:00 DOUBLE金沢

2023年4月から始まった、演劇初心者にも観やすい短編演劇を複数上演する『プロゲキ!』も2年目を迎えた。本日の『Authentic』は2年目の2回目の公演である。Authenticは、「本物の、真正の、正統な」といった意味を持つ。このタイトルに、『プロゲキ!』プロデューサー井口時次郎が込めた思いは、どのようなものだろうか。

『プロゲキ!』では開場後、開演までの十数分に「Future Stage」として、若手の演劇人が出演する。今回は酒井隆典が一人芝居を演じた。自己紹介を始めた彼は、かつて弁護士だったという。その経験を元に彼は、観客を裁判員と見立て、自身が弁護人と、弁護される被告「酒井隆典」を演じた。裁判を模して語られる内容によると、その世界では、演劇を行うことが禁じられているらしい。しかし酒井は演劇を行い、罪に問われているのだ。弁護人によって彼の半生が語られる。真面目に生きてきて弁護士になるが、独立してからうまくいかず、心を病んでしまう。そんな彼の情熱を目覚めさせたのが演劇だった。自らの経験をさらけ出して舞台に立つ酒井の姿には、演劇に賭ける覚悟が見られた。だが、なぜ演劇にそれだけの魅力があるのか、短い時間の中で仕方がないのではあるが、観客を納得させるだけの理由にはたどり着けていなかったと感じる。演劇についてもっと観客に伝えていくために、ここからがスタートだ。

MCの朱門による開会宣言によって、会場後方よりキャストがステージへと上がってくる。姫川あゆりと市川由紀乃はキャッチーな曲にのって踊りながら。杏亭キリギリスはそつなくスマートに。そして井口はお馴染みとなった、哀愁を感じさせるテーマ曲をバックに、ゆっくりと。4人がステージにあがり、井口によって開会の挨拶がなされる。その後、舞台上では1st stage『すき焼き』のためにセッティングが行われる。中央に黒い四角の箱が2列に2個ずつ積まれ、その両横に背もたれのある椅子が2脚ずつ置かれた。下手の椅子には、長ネギの刺さった買い物袋。

上手から姉(姫川あゆり)が、すき焼き鍋を持って登場する。鍋をテーブルに置いて、彼女は椅子にこしかける。そこに制服姿の妹(市川由紀乃)が帰ってくる。もう6時だから遅いのではと妹を責める姉。妹は部活で忙しいのだと言い、メニューがこの時期なのにすき焼きであることに異を唱える。姉によると、母親がすき焼きがいいと言ったのだという。母は7時過ぎに帰ってくるらしい。しかも恋人を連れて。姉は、妹が母の再婚を嫌がっているのではないかといぶかしむ。妹はそんなことはないと反論。姉がお茶を入れに行っている間に妹は、ディズニーランドで撮った家族写真を見つける。戻ってきた姉と、父にまつわる思い出話が始まる。

まだ幼さの残る妹は、失った父の思い出と、知らない誰かが父になることへの反発心とで不安定になっている。母の再婚に関しては物わかりがよさそうに振る舞う姉も、心の中には複雑な思いがあった。2人の思いが少しずつ、言葉として外に出て、明らかになっていく。父がいなくなってから、10年が経つようだ。2人の会話は10年の2人の思いを描き出すと同時に、そこにはいない母が10年間抱えてきたであろう父への思いも、推し量り、明るみに出す。このように、誰かがいないところでも、他の誰かがその人のことを思い、考えていてくれるのだろう。特別ではない、どこにでもあるような情景。でも本当は、そんな情景があることが、大事なのではないか。そう思わせる会話劇だった。

舞台上では、黒いボックスが四つ、正方形になるように並べられ、その上に座布団が置かれた。Semi Final『杏亭キリギリスの落語』が始まる。杏亭は軽妙な会話で、観客の関心を自身に引きつけていく。自己紹介の中ではちょっと公言しづらいことも口にして、しかし「ここで見聞きしたことは出たらすぐ忘れてくださいね」としっかり口止めすることを忘れない。「私の落語を観た人は共犯ですから」と、観客を杏亭の領域に引きずり込んでしまうのだ。というわけで本来ならば見聞きしたことは語れないのであるが、それでは劇評の体をなせないので、問題がないであろう程度に書かせていただきたい。

杏亭には、富山県利賀で活動する劇団SCOTに所属していた経歴がある。観客にSCOTを観たことがあるか尋ねると、何人かいた。杏亭に感想を聞かれた人は『世界の果てからこんにちは』を観て、劇中に上げられた花火が印象に残っている、というように答えた。そこから杏亭は花火の話を始める。舞台は江戸時代。その日は両国の川開きの日。花火に合わせて「たまや~」の声も上がる。そんな見物人でごった返している両国橋を、あろうことか侍が渡ろうとする。侍を通すために人々があっちへ押され、こっちへ押されしている所に、桶のたが(輪)を担いだ「たが屋」が通りかかる。彼も人波に押されて、なんと侍の前に踊り出てしまっただけではなく、たがを飛ばして侍の笠にぶつけ、笠を飛ばしてしまったのだ。たが屋の運命はいかに。といった落語「たがや」に、SCOTの花火から話がつながっていったのである。会場にSCOTを観た人がいなかったらどうなっていたのかが観てみたい気もするが、きっと、あれやこれやをうまいことつないで「たがや」にたどり着くのであろう。さてこの落語「たがや」であるが、斬られるわ首が飛ぶわで、結構にバイオレンスであるのだが、その様子を観客が具体的に想像する前に、杏亭はとんとんとテンポよく話を先に進めていく。そのスピード感が爽快さを覚えさせるのだ。

黒いボックスが両端に寄せられ、Main Event、井口時次郎による『ホームランアーチ』の上演となった。登場した井口はバットを持っている。井口が演じるのは野球少年。だが、彼は近所の子供たちの草野球でさえ活躍できないほどに、野球がうまくはない。へらへら笑ってリーダー格の少年にこびへつらい、仲間達にいじめられることを避けている。ある日、リーダーがホームランを打った。美しく空に描かれるホームランアーチ。ボールは塀を越え、家のガラスを割ってしまう。その家には恐ろしい老人が住んでいるとの噂だ。誰もが怯える中、リーダーは、井口演じる少年にボールを取ってくるように言いつける。仕方なく老人宅に向かい、ボールを返してもらおうと試みる少年。やりとりの後、老人からボールを受け取ろうとしたその時、少年と老人に稲妻のような衝撃が走った。気付くと少年は、老人の姿になっていた。二人の心は入れ替わってしまったのだ。心が老人である少年の姿はない。探そうにも、老人の体では痛くて動けない。それどころか、熱まで出て寝込んでしまう。自分の体を取り戻そうとしつつも、少年は確信していた。少年の姿になった老人は、草野球にやってくると。その理由は老人宅で見つけた古い野球雑誌にあった。老人は昔、野球選手だったのではないか。

少年は、自分の体に入った老人が放った、ホームランアーチを見ることになる。白いボールが空の高くへ美しく伸びていく。内側は老人だが、外側は少年だ。まるで自分がホームランを打てたかのように、少年には感じられただろう。自分の体がそう動いたのだ、自分の心が同じように体を動かせないはずがない。本当は、自分だって、打てるのかもしれない。不思議な出来事によって少年は気付くことができた。だが、その本当にまた出会うには、自身の成長も必要だと気付く。本当のものとは、その人の中にあらかじめ備わっているものではなく、得ようとして得ていかなければいけないものであるのではないか。そのような問いを私は受け取った。ただ、題材が「入れ替わり」であるからか、入れ替わり物語の代名詞である『君の名は。』を彷彿とさせるセリフがあり、主題歌『前前前世』が流れ、オチも前述のセリフで締められていたことは気になった。既成の表現が持つ伝わりやすさに頼らずに、井口オリジナルの表現を探ってほしいと感じた。

『プロゲキ!』では観客投票による演劇対決が行われることがある。今回は井口と杏亭の対決となった。14時の回では11対19で杏亭の勝利。先の11時の回でも9対13で杏亭の勝利であり、最終結果は20対32となった。閉会の挨拶において、杏亭が、「いろいろやっていたらこうなっていました」というようなことを話していた。特に日本においては一つの場所に長く在籍し、一つの物事にずっと注力している人が「本物」とされる傾向があると思う。それはおおむね間違ってはいないだろう。だが、それ以外が間違っているわけでもない。いろいろな場所で、いろいろな物事に携わってきた、そんな経験を積んだからこそ得られる何かもあるのではないか。また、ずっと続けていれば無条件に「本物」になれるわけでもない。何をどうすれば本物になれるのか、明解はないだろう。真っ直ぐ進んできて本物になる人もいれば、紆余曲折あって本物になる人もいる。杏亭は後者なのではないか。そんな杏亭に「本物」を観たからこそ、井口は彼を『プロゲキ!』に呼んだのだろう。

本物とは。その判断は観る側に委ねられている。とはいえ「本物の演劇」がどういうものか、力不足の筆者には定義することなどできない。だが、「本物の演劇を見せてやる」という情熱を感じることはできる。『プロゲキ!』は、その情熱を持って作られている。


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