ルイボスティーは水出し中
いつ頃からだろうか、水出しのお茶を作るようになっていた。理由としては、ペットボトルのお茶を買う頻度を減らすためだ。外出中などはともかく、家で飲むならもうちょっと安い物がよいのではないか。そして、ペットボトルのお茶を買いにコンビニなどに入ると、ついでにお菓子を買ってしまうことが多いのである。私はこのついで買いを減らしたかった。金銭面での影響もあるが、何より、お菓子を買って食べていることで増えている体重に困っているのだった。
いろいろ探してお茶は、無印良品の水出しフレーバーティーの「白桃&グリーンルイボス」と「マスカット&グリーンルイボス」に落ち着いている。さっぱりした味で、ノンカフェインなので夜にも気にしないで飲めるのが嬉しい。
先日、店舗を覗いてみると、以前は特設棚のような位置にドリンクボトルなどと共にたくさん並んでいた水出し飲料が、普通の飲料棚に戻っており、置いてある数も少なくなっていた。もう水出し飲料の季節は終わりなのかもしれない。この水出しフレーバーティーが通年で販売されているのか、今年から水出し飲料生活を始めた私にはわからないが、今後も棚に置いてあればいいなと思う。いや、もうしばらくすると、暖かい飲み物が欲しくなってきて、水出しフレーバーティーを作る回数は減っていくのかもしれない。
作るといっても、ボトルに水を入れてティーバッグを入れて待つだけなのだが、水出し飲料はこの「待ち」の時間が長い。上記のルイボスティーは約4時間抽出することになっている。私は大抵、寝る前くらいに作り、翌日に飲んでいる。だが、飲み終えてしまってすぐ次の分を作ることもある。そうすると当然だが、4時間待たなくてはいけないわけである。この時間が待ちきれない。冷蔵庫を開けてボトルがある。しかしまだお茶の色が薄い。4時間も経っていない。別の方法でお茶を入れればいいじゃないか。しかし今は冷たい飲み物が欲しいのだ。では氷を入れたらどうだ。いやそれは、何かが違うのだ。最初から水出しのお茶がいいのだ。
なぜだろう。何時間か待たねばならないところに「じっくり感」があるのだろうか。そうだとするならば、水出し飲料の待ち時間は、そのじっくり感を醸し出す本質ではないか。
冷蔵庫を開ける。まだ薄い色のルイボスティーが見える。じっくり感の本質がそこにある。