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今日投稿すれば777日連続!感動!

記事の投稿欄にタイトルのような文言があった。
確かに。777日連続は感動だ。感動してもいいだろう。

いつからかもう意地だけで続けている毎日投稿だ。書くための十分な時間を取れないこともあるし、焦って書くこともある。昨晩も駅の隅っこであわてて書いた、というかXからのコピー&ペーストと修正作業をした。別にその記事が昨日のうちに上げられなければならない理由はなかった。でも、毎日投稿をしたかった。

毎日投稿を止めてしまうことには怖さがある。止まっていないうちは「連続記録」という投稿すべき理由があるため書くことができるが、その記録が途絶えてしまった時だ。私はこれまでどおりに記事をアップするだろうか。もういいや、となってしまわないだろうか。

そう不安になってしまうくらいに、noteに記事を書くことで得られるわかりやすい利益はない。投稿したからといって何かもらえるわけでもない。ただ、投稿できたという自分の中での満足が得られるのみだ。

のみ、と書いたが、しかしこの満足は貴重である。自分で自分のためにもたらしてやることのできる満足というのも、そんなにないのだから。少しの文章を打つことでいくらか満足できるのは、手っ取り早く簡単ではある。

また、そんな自己満足から行っている記事の投稿を、自分以外の誰かが見てくれるというのは、とてもありがたいことである。しかも、スキだと思ってもらえたり、何か感じた上でコメントをわざわざ残してくれたりもするのだ。感謝しかない。

そうやって他者との関わりにもなっているnoteへの投稿だが、他者からの反応で喜ぶのは自分なのだから、結局のところ自己満足の域を出られないのかもしれない。

777日を越えて、この後毎日投稿がいつまで続けられるかはわからないが、続けていくのならば、自己満足の域を出ることを意識したほうがいいのではないか、と思う。誰かの満足、とまではいかなくても、誰かに記事を見て何か思ってもらう。文章で他者の気持ちを動かすのは難しいことだが、ここまでたくさん見ていただいているのだ。誰かの存在をもっと大きくしてもいいだろう。

言ったそばから連続投稿が止まる可能性もあり、そうなってしまったら申し訳ないのだが。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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