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選ばれないということ

3月8日にこのように書いていた、喜ばしい出来事の一つは、短編小説賞の一次選考を私の応募作品が通過したことだった。そして今日、その賞の最終選考通過作品が発表された。私の名前と作品名はそこにはなかった。

このような時には、何も言わないほうが美しいだろうと思う。黙って状況を受け入れて、静かに身を引くといいのだろう。しかし私は何でもネタにしてやろうという、意地汚い根性の持ち主である。なので少し「選ばれないということ」について書いてみたい。

選ばれなかった側からすれば、選ばれないことはもちろん悲しい。なぜだろう、理由を知りたい、という気持ちが先に立つ。しかし、冷静に考えれば、選ばれない理由など明確である。選ぶ側の求めるものではなかった、それだけだろう。

それだけ、と書いたが、それはとても重要なことだ。求めるものと、求められたものが一致していない状態から、良い展開はまず生まれない。それどころか、ミスマッチは悲劇を呼ぶ可能性が高い。

選ぶ側、選ばれる側、どちらもにとって良い展開になるような選択は非常に難しく、心を使う仕事なのだろうと想像する。

私の作品は、その困難な仕事の中で、丁寧に読んでいただけただろうと思う。それだけでもう幸せなことだ。素人の小説は、読まれることすらないのが当たり前なのだ。読んで、多分、何らか思ってくださっただけで有り難い。そこで感じられたことがこちらまで伝われば幸いなのだが、それは、結果をもって自分で考えることだろう。

何が良くなかったか。何が足りなかったか。反省は尽きない。そうやって自作を振り返る機会というのも、なかなか持てる時間ではない。選ばれないということからも、受け取れる物はある。


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