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難民事例 その2 完結編(アフリカ 女性:30代前半)

 Bさんは、スマホを取り上げられていたし、部屋には時計すらなく、外界の様子が分かるものも、ありませんでした。毎日のように、何回もレイプされ、時間や日にちの感覚や自分が生きている感覚すらほぼ失っていきました。そんななか、半年ほど経ったある日、突然Bさんの勾留されていた部屋の外から、大きな音が聞こえました。そして、間もなくしてBさんがいた部屋の扉が開いて、扉を開けた人が「逃げろ!」と言いました。部屋の外では多くの人が出口に向かって逃げていました。
 Bさんは、同じ建物から脱走した人たちと、同じ方向に向かって走り、人通りの多い場所に着きました。そこで通行人に、身に危険が迫っているので助けてほしいと求めたところ、親切な人がバスに乗せてくれました。また、別の人がBさんの家族に電話をかけてくれて、Bさんの居場所を伝え、両親に迎えに来てもらうことができました。
 両親は、Bさんの住所などの情報が明記してある、投票者カードも没収されていたので、当局からの追跡があることは確実だと考えました。自宅に戻ることは危険であると思い、直ちに国外に逃げた方が良いという結論に至りました。実際に彼女が逃亡した後、8通の召喚状や手配書等が自宅に届きました。すぐに家族は、政府から迫害を受けた人の海外逃亡を支援する支援組織グループに手配を頼み、最初は隣国のビザが出たようですが、家族がそれでは安全とは言えないと組織に伝え、組織側が遠く離れた日本へのビザに切り替えてくれたそうです。
 以上がBさんの日本へ難民として来た経緯です。日本の観光ビザは他の国に比べて、審査期間が短く、切羽詰まった政治的難民にとって、希望する国ではないものの、成り行きで来ることになったという事例は多いです。彼女が再申請で認められた、難民の在留資格(通称ビザ)は定住者とほぼ同じ扱いと権利をもちます。


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