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難民事例 その1 続き(コンゴ民主共和国 男性:30代前半)

 前記事で昨年に出会った印象を書いたAさんですが、難民となった経由について説明したいと思います。

 彼が母国のコンゴ民主共和国のテクノロジー関係の大学でプログラミングを専攻して修了、大学院に進んだ年に事件は起きました。Aさんは、その年、学年の代表を務めていました。そして彼のもとへ野党の政治家から政治活動へ声がかかりました。当時カビラ大統領が独裁政権を維持していましたがコンゴ民主共和国の憲法では大統領の任期は5年、連続した任期は2期まで可能でカビラ大統領は既に2期の終わりにあり憲法に違反して大統領として長く留まることを望んでいたのです。それを実現する法案はすでに国会で採択されており、大統領によって公布されるために上院を通過すれば有効になる状況でした。そのため、学生、反対派、市民社会はこれを阻止しようと、この法律が無効になるように平和的なデモ行進を実行しようとしていました。彼も学年代表として学生を集めて、これに参加したのです。このデモは平和的な行進にも関わらず不幸にも一部の学生が殺され拷問され、行方不明となったり誘拐されたりしました。

 結局、彼も逮捕され秘密の場所に連行され暴力を受けました。Aさんは警官に頭蓋骨をライフルの後部でなぐられ、そのせいで継続的に強い痛みを感じるようになりました。しかし幸いにも、逮捕後3日後に彼らは監視員の協力で連行場所から脱出することができました。わずかな現金と引き換えに監視員は逃亡の手助けをしてくれたとのことでした。この血まみれの行進については複数の国際機関が数千人もの重傷を負った人達、逮捕されたり死んだ人達についての報告書を発表しています。https://www.hrw.org/news/2015/01/24/dr-congo-deadly-crackdown-protests

一方、政府は通信大臣を通じて、この行進に参加した全ての関係者、首謀者を逮捕すると発表しました。彼は監禁場所から逃げられたものの、一刻も早く出国しないと命に危険が迫ることとなったのです。(続く)


 

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