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24歳直前になって感じる葛藤

今まで「他人にとって読みやすい記事にしよう」とか「いい文章を書こう」とか、意識しながらブログを書いていたけど、今回のブログは個人的な日記のような感じで、殴り書きしようと思う。まぁ、意識せずに書く文章が一番読みやすいって誰かがいっていたのを思い出して少し安心しているところはあるが....。

いきなりだけど、もうすぐ私は24歳だ。今まで自分の歳とかあまり意識したことなかったし、20歳になるときも正直内心まだ10代の高校生気分で、20歳か〜っていう、軽い受け流しをしていたくらいで、成人式もなんとも思わなかった。誕生日も毎回プレゼントもらったり、友人と集まったりできるという理由で楽しみだったし、なんとも思わなかった。

だけど最近24歳に近づいてきていて、少し焦りを感じる。もう本格的に大人になってしまう気がして24歳の誕生日が怖いのだ。もういい大人なんだから今更甘えるな…と思う人もいるかもしれないけど...。というか、もう私って「いい大人」という年齢になるんだなって恐ろしさと寂しさを感じてしまう。今までは子供でもなく、大人でもない、そういう領域の中で生きてきて自立はしつつも、甘えられるような立場にいた。でも24歳になることって大人の仲間入りの最終段階なんだなって、最近しみじみと感じている。こういう経験、ないですか?

そしてもう一つ。24歳直前になると18-22歳のことの写真をよく見返すようになるんだなって思った。これは私個人の問題なのかもしれないけれど。そして見返すたびにちょっとだけあの時に「戻りたいな」って思う。22歳までは活気で溢れていて、内面からキラキラしていた。心配事や悩み事もあったけど、その時その時を生きていた。それが写真からも伝わる。怖いもの知らずで、強かった。

でもなんでだろう。最近自分の中で活気を感じないし、22歳までの自分の写真をみて「これって本当に自分だったの...?」って思う時がある。

あの時のSayakaはどこへいっちゃったの?

でもなんとなくその原因がわかる。22歳まで、私は本当に世間知らずだったのだ。就活をまともにしなかったし、親には「好きなように生きなさい」と言われ育ってきた。健康体で好きなものを食べて、バイトも飲食店で楽しくして、害というものに触れず生きていた。だけど、23歳以降、内定が取り消されて将来について不安になったり、親が大きい病気をして親の老後について深く考えるようになったり、ストレスで過食症になって摂食障害気質になってご飯が全てカロリーの数字に見えたり、夜の仕事をして年上の男性が苦手になったり、お金の欲望が強くなったり。自分のこと以外で心配しなきゃいけないこと、今まで見えてこなかった世の中の嫌のことが見えて基準がわからなくなったこと、自分自身が「欲望」の塊になってしまったこと、そういうことが23歳以降増えすぎて、心が一気に老けてしまったんじゃないかって思う。大人になるってこういうことなんだなって、人生楽しいことばかりじゃないんだって、そういう苦しい現実にも向き合うのが人生なんだって最近、辛いながらも受け入れようとしている。でも、何もしらなかった純粋なSayakaにもう一度戻って、いろいろやり直せたらなと思うこともたくさんある。

23歳はまだまだわかいけど、大人になる最終段階に入るんだなっていう覚悟と、虚しさが行き交う歳だったなって思う。でも24歳はそれを踏まえてもっと輝きたい。「自分はもう大人なんだ」って振り切って大人の女性としての魅力を放ちたい。そう思った。

23歳は学びの年、24歳は花開く年。そうしたい。だから23歳最後、もう少し甘えてもいいですか。


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