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デートを回避するために進撃の巨人を犠牲にした彼

長年読み続け、「最終回を読むまでは死ねない」と思うほど熱中した漫画が実際に完結してしまうのは、うれしいけれど途方もなく寂しいことだ。「最終回を読むまでは死ねない」と思うということはつまり「最終回を読むまでは生きていたい」ということで、大げさにいえばその作品を追い続けることが生きる糧になっていたのだから。

先月完結した『進撃の巨人』も、わたしの生きる糧となっていた作品のひとつだ。もっとも、この作品に限ってはクライマックスへ向かうにつれ目を覆いたくなるような絶望的な展開が続いていたので、「もうどんな形でもいいから早く完結させてくれ」というか、どちらかというと「ひと思いにやってくれ」というような気持ちで読んでいたのだけれど、実際に完結してしまうと心にポッカリと穴があいたようになった。

最終話はマガジンのアプリで購入しすでに読んでいるとはいえ、来月発売の34巻を本棚に収めたあとは、より心の穴は大きくなることだろう。「この本棚に進撃の巨人と描かれた背表紙が増えることはもうないのだ」という想いに、胸を切なく痛めるに違いない。

わたしの本棚にはいま、進撃の巨人の1巻から33巻までが収められている。でも、実は1巻から10巻まではわたしの買い集めたものじゃない。結婚する前いきすぎたミニマリストで、本棚はおろかテーブルやベッドすら持っていなかった夫のものでももちろんない。では誰のものなのかといえば、8年前にわたしが一方的に想いを寄せていた男性のものだ。


その人は中学生の頃に好きだった人で、成人式のときに再会した。わたしは学生時代たいへんに惚れっぽく、在学中にいろんな男の子を好きになったけれど、彼のことは卒業してからもずっと忘れられなかったので、再会できたときにはうれしかった。この機を逃すわけにはいかないと思い、成人式のあとの二次会では連絡先を教えてもらったし、後日すぐにデートにも誘った。中学生の頃からずっと、彼がわたしに興味をもっていないということはわかっていたのだけれど、デートの返事は「二人では会いたくない」というものだった。直球……。

けれどその一年後、わたしが京都旅行へ出かける旨をツイートしたとき、当時フォロワーであった彼から突然「おみやげ買ってきて」というリプライが届いた。わたしの心臓は通知を目にした瞬間小動物のように跳ね、蝶のように空中を舞った。さらに彼は、「でもお礼に返せるものがないや」と続けた。未だにどういう気持ちでこのリプライをくれたのかよくわからないけれど、ともかくわたしはこれが神さまのくれたたった一度のチャンスだと思った。

「彼におみやげを買えば渡すときに会える! さらに、お礼になにか貸してもらえば、返すときにまた会える!」天から啓示を受けたようにそうひらめいたわたしは、当時彼が「おもしろい」とツイートしていた進撃の巨人を貸してほしいと頼んだのだった。彼は快く承諾してくれた。京都で八つ橋を買ったとき「これを彼に渡すのだ」という喜びで会計をする手がふるえたこと、おみやげを渡す日をメールで相談したとき、デートを断られたときのような気のない雰囲気ではなく、顔文字付きの優しい文体だったのがうれしくて、メールを保存したことを覚えている。

数日後、わたしは彼と地元の駅で落ち合って、進撃の巨人が10巻まで入った紙袋と、八つ橋の入った紙袋を交換した。わたしが「これだけで帰らないでしょ?」と半ば冗談ぽく、半ば強引な調子で訊ねると、彼ははにかんだように笑って「どっか行くんですか」と言った。あんなにどきどきしたことはない。

わたしたちはそのあと近くの居酒屋で食事をしてから、またねと言って再び駅前で別れた。居酒屋でどんな話をしたのかはほとんど覚えていないけれど、大人になった彼と2人きりでお酒や食事を楽しんだという事実に改めて感激して、帰り道ひとりになってからわたしは泣いた。チャンスをくれた神さまに心から感謝し、「このまま彼とうまくいくならなんでもします」とさえ思った。

正直に言って、10巻まで借りた進撃の巨人には当時たいした興味もなく、彼とわたしをつなぎとめるものであるという以外にはなんの思い入れもなかった。とはいえ、再び連絡をとるには感想を伝えなければならないと思ったので、3日くらい経ってから読み始めてみた。数日後に「読んだよ」と連絡できればいいかなと思っていたのだけれど、読んでみると予想外におもしろく、その日のうちに10巻すべて読み終えてしまった。この熱が冷めないうちに感想を共有したいと思い、読み終わってからすぐ「進撃の巨人、もう読んじゃった! おもしろすぎる!」と彼に連絡した。けれどどうしてなのだか彼からの返信は、一年前デートを断られたあのときのような、そっけないものに戻っていたのだった。

ここまで書けばお察しいただけるだろうと思うのだが、結局のところ、進撃の巨人を借りたあの日が、彼とわたしの最初で最後のデートとなった。

彼はあの日でわたしを「やっぱり恋愛対象にはなり得ない」と見限ったのか、そもそもほんとうに進撃の巨人と引き換えに八つ橋を食べたかっただけなのかわからないけれど、ともかく二度と会ってくれなかった。「進撃の巨人を返したいから、会わない?」と何回か連絡してみても、「そうだね」というぼんやりとした返事のあと、日にちを決める段階になると決まって返信が途絶えてしまうのだ。日にちを決めるのがおっくうならばと、彼が「今から誰か地元でめし食わない?」とツイートした際に立候補してもみた。しかし、わたしがリプライを送った途端彼のツイートは途絶え、数時間後に「ごめん、結局家でめし食った」というリプライが届いた。

南無三……。

こと恋愛となると判断力を失うわたしにも、ここまで態度に示されれば、彼の言わんとしていることは理解できた。「今まで集めてきた進撃の巨人を犠牲にしてでも、もうお前には会いたくない」と、そういうことではないだろうかと……。

わたしはその後涙で枕を濡らし、槇原敬之も驚きの真面目さで「もう恋なんてしない」と夜空に誓い、そしていつか返すために借りた紙袋の中に入れたままだった進撃の巨人を、自分の本棚にすべて収めた。「途中から買い集めるのもなあ」と思って買わずにいた続刊もかまわずに購入した。

さらに3年後、地元を離れひとり暮らしをはじめる際にも、進撃の巨人は彼に借りた分も含めて全巻持っていくことにした。その頃にはもう彼への想いと関係なく、進撃の巨人がわたしにとって大切な作品になっていたから。

その後「もう恋なんてしない」と誓ったはずのわたしは現在の夫と恋に落ち、同棲をはじめたアパートにも、結婚してから入居した現在の家にも進撃の巨人を持っていった。やがて進撃の巨人を読んだことのなかった夫もわたしの本棚から借りて読むようになり、夫も作品のファンになった。新刊を読んだあとには、2人で考察を発表し合ったり、志半ばで散っていったキャラクターを惜しんだりしたものだ。件の彼がわたしとのデートを回避するために『進撃の巨人』を犠牲にしてくれたおかげで、わたしたち夫婦は生きる糧となる作品に出会えたともいえるだろう。


……。

何? この話……。


あれから8年経つ今、わたしは彼の連絡先を知らないし、ツイッターもアカウントを作り変えてしまったのでもうフォローしあっていない。彼がその後進撃の巨人を集め直したのか、読み続けていたのかどうかさえも知らないけれど、結果として彼はあのすばらしい作品をわたしに教えてくれた人なのだから、最終話まで読んでくれていたらいいなと思う。そしてなにかの折に彼とまた会うようなことがあれば、進撃の巨人10巻分の購入代金を返したいと本気で思っている。もし何かの間違いでこの日記を読んでいたなら、わたしのメールアドレス宛に口座情報を送ってください。

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