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【1989年100日旅】44日目。モスクワ

1989年5月19日、旅は44日目。母と弟は観光、父は仕事だったのでモスクワ大学の寮の父の部屋に妹と二人でいたら、日本人留学生のノリコさんがやってきた。大喜びで部屋に誘い入れたら、お話をしてくれるという。狭い部屋で、ノリコさんが椅子に座り、私たちは父のベッドに腰掛けて聞く。それが非常に怖い怪談で話し方がうまく、妹とぎゃーっと大声で叫んだ。

モスクワ大学の寮はうろつけば知り合いに会えたり各地の留学生が話しかけてくれたりした。ノリコさんの友達のウズベク男性はとりわけかまってくれて、言葉も通じないのに話した。

モスクワ大学の寮の庭土は、数年前に流行った「光る泥団子」を作るのに最適で、大量に作ってピカピカに光らせた。モスクワを発つ時に、持っていけないからと庭の隅に隠したあの泥団子、誰かが見つけたかしら。

そういえば、モス大寮を始め、ソ連のエレベーターは大雑把だった。定員オーバーか中のバランスが悪いかでアラームが鳴っても、中にいる人がみなでジャンプすれば騙されて閉まる。ずいぶん後になって行った香港の重慶大厦にも同じ感じのエレベーターがあって、懐かしく思った。

そんな感じの44日目。旅は残り56日。

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