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ワタシが出会った先生たち。〜小学校編〜

息子達の学校のことを書きながら、ワタシが子供の頃に出会った先生に思いを馳せた。結構覚えているものだ。昭和〜平成に子供時代を送った。日本に勢いがあった時代。中学時代はバブル全盛期。社会にも大人にもエネルギーが溢れていたと記憶している。

出会った先生達

小学校1年生:ベテランで授業の上手な先生。先生自作の漢字テストや「たぬちゃんボール」というラグビーベースの自作スポーツの事を覚えている。山や川が題材の授業の時、砂場で実際に山や川を作って水を流したのを覚えている。いつも遊ぶ砂場が、授業の場になったのが新鮮だった。今じゃ考えられないが、先生は休み時間になると教室でタバコを吸っていた。大人になっても年賀状を出していた。ワタシが学校の先生を辞めてから、先生とお食事に行った。20年ぶりにお会いした先生は、とっても小柄でびっくりした。でも変わらぬ優しい顔をしていた。

2年生:若い男の先生。クイズばかりしてた。授業そのものの記憶は無い。

3年生:忘れ物をすると漢字100字書かせるおばあちゃん先生。夜遅くまで漢字の練習をしたのを記憶している。手の運動で、漢字の練習にはなっていなかった。本当に無意味だったと思う。

4年生:現代では考えられない体罰おばちゃん先生。いつもキーキー怒っていて、男子をよく箒の柄で叩いていた。忘れものとか、クラスがうるさいと、校庭を走らされた。あの時代に「不登校」という概念があったら、ワタシも含めてクラスの多くの子どもたちは不登校になっていた。そして先生はきっと辞めさせられていた。

5年生:子どもの好奇心を引き出し、楽しい授業をする先生。算数の授業が愉快で、問題を板書し、生徒にその解き方を何通りも考えさせるというもの。先生の問題を、ワクワクしながら待っていたのを覚えている。教室にある先生机の引き出しの右下に、Tシャツを畳んで入れていたのも、先生が牛乳嫌いだったのも覚えている。

6年生:可もなく不可なく。授業の記憶無し。

毎年先生が変わり、日々のルーチンも、先生との関係も変わる。短いスパンで、子どもとの関係を作り、授業をしなをければならなかった先生も大変だったろう。しかし、ポジティブな大人との出会いが少なめだった小学校時代だ。こうやって見ると、楽しい授業をしてくれた先生の事は、細かい事まで覚えている。そうでない先生のことは覚えていない。ワタシは、いいことを強く記憶し、そうでないことは忘れるという、幸せな脳の持ち主なのか?

ジョン・ハッティーの研究

ニュージーランドの教育学者ジョン・ハッティーが2009年に発表した研究がある。世界各国2億4500人が参加した、6000に及ぶ、生徒の学びに何が影響を与えるかという調査だ。この調査によると、「教員と生徒の関係性」が生徒の学びに一番影響を与え、成功の鍵だと言う。最新のコンピューター機器でも、ひとクラスの人数でも、生徒の家庭環境でもない。関係性だ。ハッチーは、教員は何が生徒に通用し、何が通用しないのか知っておくべきだ。そして、教員は自分の過ちに目を向けはじめ、解決策を探っていく必要がある、と言っている。

ハッチーの調査は息子たちの学校とつながる。ワタシが行かせてよかったと思う一番の理由、「先生とのポジティブな関係」だ。先生との安心した関係性が築けていれば、子どもたちは学びへの扉を開くことが出来る。息子たちの学校のモットーは、"Gå glade i skole" 「喜んで学校に行く」。安心して喜んで学校に通えれば、学ぶゆとりがある。逆に不安や心配なことがあっり、喜んで学校に行かれないと、学べない。と考えられている。

ハッチーの調査に照らし合わせると、安心して学べなかった、2.3.4.6年生の授業のことを覚えていないのも無理ない。ワタシの脳は学ぶことよりも、先生の怒りが早く静まること、漢字の書き取りをしなくてすむこと、関係性の築けていない先生の授業をやり過ごすことに使われていたのだ。




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