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じぶんを疑い、他人の悪いところに気づけない人

仕事でミスをしないようにするのは得意だけど
気づくのがとても苦手だ。


きのう、手分けして数字の入力をしていた。

元々は凡ミスが多いタイプなので
入力するところ以外が見えないようにしたり
確定前に毎回確認する。

結果、仕上がりの精度はまわりに比べて高い。


ただ、何かに気づく能力がとても低い。

打ち込む前のデータに不自然な空白があってもスルーしてしまったり、「あ、こういうもんなんだな」と受け入れてしまう。

じぶんのことはすごく疑うけど
ほかを疑うという概念が希薄らしい。


書きながらゾッとした。

人付き合いの面でも、完全におなじ傾向がある。


じぶんが発した言動はすごく気にしてしまって、後から「うわあ、こういう風に伝えればよかった」って反芻したりする。

たぶん、何割かは自意識過剰気味。


対して聞き役に回っているときはひたすら相槌で、「そうなんだ〜」って聞くだけで、ほとんど反論もしない。


「仕事はキッチリしよう」と思っているのに、仕事の癖と、対人関係の癖って似てしまうものなんだな。


気づかないのは悪か?

学生時代から今もなお、人が「あの子のこういうところが嫌い」と言っているのを聞いて「あ、そうなの?全然気づかなかった」「え、全然気にしたことなかった」ということが数え切れないくらいある。

観察能力が著しく低いのか?とも思ったけど、それほどでもない。映画やドラマを見ていて、一緒に見ている人より内容を覚えていたりする。ストーリーを理解することもどちらかといえば得意だし。


気づかない、というか全てスルーしてしまうのは "ありのままを受け入れる" 癖がつよすぎるからかな。

この癖が強いと、仕事だけでも"人や物を疑ってかかる" というのは難しい。では、"本来のあるべき姿を考える" という姿勢でいくのはどうか。


たとえば、冒頭の「データに不自然な点があってもスルーしてしまう」ということ。

そのデータ本来のあるべき姿を考える。と通常は、毎月数字が入っているデータをずっと見てきたな…って気付けたり、するかな?

プライベートな人間関係だけを考えれば、人の嫌なところに気づかないってすごくプラスだけど、仕事の人間関係だと一概にそうも言えない。

自分は良いけど、ひとの気持ちに共感しづらいから。

積極的に嫌だと思うのは違うかな、とおもうので、30代は "その人の得意分野・苦手分野を理解する" という温度感で人を見られるようになりたいなあ。

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