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お腹いっぱいご飯を食べれる幸せについて

先日、友人に誘われて、カフェでたらふく食べるというイベントに参加してきたさやかさんです、こんばんは。

友人は「食べ切れるかな〜?」と不安気でしたが、割と食べれる量には自信があり、モーニングもしっかり食べた上で、たくさんのメニューを完食することができました。

心地よい満腹感で、その日は丸一日充実して過ごすことができたように思います。

それで、ちょっと気づいたことがあるんです。

結局、おいしいものをお腹いっぱい食べれたら、それでほぼほぼ満足だということに。

「小学生か!」ってツッコミが来そうなのですが、でもこれって、無下にできない要素だと思うんです。

しかも、その場が、気心の知れた相手となら、もう最高じゃないか、と。

食べれることって、当たり前じゃない

以前、食道がんで食事ができなくなってしまった家族がいて、栄養は全て点滴で補給していたのですが、見ていて心苦しかったです。

目が見えなくなると、美しい景色を見ることができなくなるし、
耳が聞こえなくなると、大好きな音楽を聴くことができなくなるし、

それって割と身近に想像しやすいのですが、ご飯が食べられなくなることも、十分にあり得て、しかも、QOLへの影響が大きすぎる。

全く食べられないまで至らなくても、歯が弱くなってしっかり噛めないとか、味覚の感じ方が変わって味が楽しめなくなることもあるでしょう。

あと、私もそうなのですが、アレルギーで体が受け付けなくなることもあります。大人になってから食べられなくなるのは、そのおいしさを知っているが故に、ちょっと辛かったですね。

食事にどれだけのコストをかけられるか

特に今年に入ってから、「無駄遣いはやめよう」というコンセプトで家計管理をしてきました。元々、固定費大嫌いマンなので、あと削減できるのが、交際費や食費くらいでした。

その結果、外食やコンビニでのちょい買いが激減。買い物も予算を組んで本当に必要なものだけ買うことにしました。

おかげで食費は抑えられたのですが、でもそれだと、あまりにストイックで人生の余白がなさすぎる。。。

つまり、健康体でなんでも食べれる体の状態でも、自分に贅沢な食事を食べさせられるお金(予算)がないと、満足に食べることができないな、と感じました。

栄養素で満点を取れていても、心が満足しないのです。

ご飯友達が欲しい

無駄遣いを減らそうとする中で、自分の中のルールとして、「1人での外食はやめよう」と決めました。カフェでモーニングは許容していますが、それすらも最近は行っておりません。。。

たまにはおいしいものを食べるために、1人外食もいいのですが、ちょっと割高な気がしてしまって。それよりも、誰かとおいしさや嬉しさをシェアしながら食べたいな、と。

でも、一緒に行く友人がいない、、、(誘えば来てくれるかもしれませんが。)

最近はあまりに引きこもりすぎなので、人間関係までミニマムにしすぎないように気をつけないといけないな、と思いました。

ちょっとした反省も込めて、今日のところはこの辺で。

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