わざわざ手間をかけてコーヒーや紅茶を淹れる意味は、“儀式”が心を整えてくれるから

コーヒーや紅茶を飲みたいとき、ペットボトルや缶のもの、インスタントにお湯を注ぐだけのもの、それらを使えばすぐにおいしく飲むことができます。
もしおいしい飲み物を飲みたいだけなら、わざわざ手間をかけて淹れる必要はありません。
コンビニのコーヒーでもいいですし、ボタンを押すだけのコーヒーマシンでもいいでしょう。

ではわざわざ手間をかけてコーヒーや紅茶を淹れるのは、何のためなのか?

それはコーヒーや紅茶を淹れる時間は「儀式」だからです。

人間は「できること」を手を動かしてやると落ち着く、という性質があると思っています。
コーヒーや紅茶もそうなのです。絵を描く前に必ずコーヒーを淹れる。朝起きたらまずは紅茶を淹れる。手を動かして「できること」をすることで、心が整い、落ち着きます。
スマホを見ずに、ぼーっと物思いにふけりながら、手を動かす。この時間が癒しであり、落ち着きです。
豆を挽く、少しお湯を入れて蒸す、何度もお湯を注ぐ、茶葉が開くまで待つ、これらの手順と時間をなぞることが、心を整えてくれます。

時間がないのに無理にやる必要はありません。ただ、コーヒーや紅茶を飲みたい時だけでなく、「落ち着きたい」「心を整えたい」ときに飲み物を淹れる手順を踏むことで、“心を落ち着ける儀式”になるのです。

そういう側面に目を向けると、「手間なくおいしいものが飲める」以外の価値をコーヒーや紅茶を淹れる行為に見出すことができます。

もちろんいつでも手間をかけるのがいいと言っているわけではありません。急いでいるとき、めんどくさいときはインスタントや買って済ませるのがいいでしょう。「コーヒーや紅茶を淹れる」という行為を、目的で使い分けてみてはどうか、というお話です。

豆を挽くところからやらなくても、個包装のドリップコーヒーでも同じような手間が発生します。
最近忙しくしてばかりだな、落ち着かないな、という方は、一度時間をとってコーヒーや紅茶を淹れてみるのもいいかもしれません。

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