人生で気づいたこと。

 今まで生きてきて得た「人生のメンタル知見」をまとめました。
 目次を読むだけでも有用ですので、内容が詳しく気になった方だけご購入ください。
 これらの知見があなたの気持ちを少しでも楽にすることを願っています。


・日常会話は情報交換ではなく感情の交感


 日常会話では大した話はしないものです。そうなると「それ知ってるんだよな」なんて相手の話を聞いていて思うことがあります。日常会話を情報交換と捉えていると、新しい情報がない会話を意味のないものだと感じてしまいがちです。
 しかし日常会話の目的は、情報交換ではないと個人的には思っています。
 情報交換になることもあるのですが、多くは「感情の交感」だと思います。交感とは、気持ちを感じ合うことです。私たちは日常会話で何を求めているのでしょうか? それは「感情を受け止めてもらうこと」です。「この前こういうことがあってさ、本当に嫌だったんだよね」という話をするとき、私たちが求めているのは「この前こういうことがあった」という情報をわかってもらうことではなく、「嫌だった」という感情をわかってもらうことです。情報の裏に乗っている感情を受け止めて欲しいのです。
 そのことを意識していると、日常会話の聞き方が変わってきます。相手はどういう感情を受け止めて欲しいんだろう、伝えたいんだろう、という目線で話を聞くようになるからです。その聞き方がうまくできると、相手にすごく「聞いてもらえた」という感覚を残すことができます。自分の話し方も変わります。「この気持ちをわかって欲しいんだよね」と自分の感情にフォーカスして、そこを伝えるようになります。このようにお互いの感情の交感として日常会話を捉えると、情報に興味や新規性がなくても会話を無駄と切り捨てることがなくなります。
 これは今まで会話は情報交換だと思っていた時期に「この人の個人的エピソード全然興味ないんだけどなぁ……」と話を聞いている傾向があったので、その人の話している情報ではなく裏の感情にフォーカスして話を聞いた方が面白く、相手にも満足してもらえるという発見です。

・会話の後で思い出せるのは、会話したときの気分だけ


 会話というのは、意外なほど情報が記憶に残りません。長々と話してもほんの一部しか覚えていないものです。その上で、本当に覚えているのは会話の内容ではなく、どんな感情になったかということです。情報はよほど印象に残っていないと忘れやすいのですが、感情は覚えています。
 この人の言い方にむかついた、家族の話を聞いて自分も家族を大事にしようと思った、など、自分がどういう感情になったかの方が思い出に残りやすい傾向が人にはあります。
 なので逆に、相手もこちらの話は基本覚えていないと思った方がスムーズです。相手が覚えているのはこちらの話の内容ではなく、「それ聞いてめっちゃうらやましいって思ったんだよね」というような感情の方だからです。
 この事実を生活に応用するなら、「話の内容は覚えていないもの」という認識を持っておく、というのが大事だと思います。相手が話を覚えていなくても気にしない方が健全です。

・話を聞くときに次に自分が言うことを考えない


 話を聞くというのは、集中して行うととても脳のリソースを割く行為です。ただ相手の話を聞いてちゃんと理解しようとすると、本来なら「自分が次に何を言おうか」と考えている余裕はなくなります。これはやればわかります。
つまり、次になんと言うかを考えている時点で、相手の話を上の空で聞いてしまっているということです。最初に相手が言ったことを頭の中で反芻しながら、それに対してなんと答えるかを考えながら相手の話を「聞き流して」いる。そういう聞き方をしてしまいがちです。
 ただ話を聞きましょう。うまく返事ができなくてもいいのです。特に相手の話を言い換えて「こういうこと?」などと理解をアピールする必要はないのです。そのまま相手の話を受け止めて、わかっているよと伝えたければそのまま相手の言葉を繰り返せば大丈夫です。あまり繰り返し過ぎると逆に聞いてないように見えるので、たまに言うくらいにしましょう。余計なことを考えずにただ話を聞く、これはかなり集中して労力を割かないとできないことです。しかしそれを行うようになると、とても信頼されます。「この人は私のことをわかってくれる」という感覚が相手の心を開かせるからです。
 話を聞くときに自分が言いたいことばかりを考えてしまっているのは、「聞く」ではないな、という自戒を込めたトピックです。

・余裕のない人同士で話すのは誰も幸せにならない


 心に余裕のない時、余計なことを言ってしまいがちです。その状態の人同士が話すと、不幸なことになってしまうことが多いです。お互いに余裕がないので、相手の話を聞くのではなく、とにかく自分の言いたいことを言い合う感じのコミュニケーションになってしまいます。そうなると、どちらも聞いてもらえてないので、お互いに伝わった感じがせず、コミュニケーションに不満が残ります。
伝わっていないと思うと、話が先に進みません。
 繰り返し述べてきた通り、聞くという行為はちゃんとやるとかなりの心と脳のリソースを使います。だから余裕のない時は聞けないのです。その状態で、さらに相手まで余裕がない状態だと、コミュニケーションは成立しません。言うつもりがなかったことまで言ってしまって、取り返しのつかないことにまでなってしまうこともあります。
 心に余裕ができるまで距離を置くことも重要です。ちゃんと話を聞くことで、思った以上に状況は好転していきます。

・イライラは自律神経的に3時間は持続する


 イライラしている時は、自律神経のバランスが乱れます。それが元に戻るまで3時間かかると言われています。つまりイライラや攻撃的な気分が3時間は続いてしまうということです。
 体の状態によって気分が攻撃的になっているので、その状態では普段なら許せることでもイラついてしまったりします。つまり見え方、感じ方が変わってしまうのです。
 そのことをわかっておくと、イライラに対処する方法が見えてきます。「時間を置く」ことです。
 3時間はどうせ何に対してもイライラしてしまうので、ちょっとしたことにイラついてしまうのは諦めます。なんでこんなに何もかもにムカつくんだろう、なんて考える必要はありません。「なんで」かというと、自律神経が乱れているからです。なので時間だけ気にしておきます。
 朝9時、職場に出勤して早速嫌なことがあり、イライラした。このイライラは、12時までは持続します。嫌ですね。でも、12時には治まるのです。だからその間は、何にでもイライラしてしまうのであまりきっかけになりそうなことに触れないようにします。なんとかしてその3時間をやり過ごすのです。その間はもう何にでもイライラする状態なので、ちょっとしたことでまたイライラしてしまっても、「規律神経が乱れてるから仕方ない」と割り切って時間が経つのを待ちます。
 このようにイライラへの対処法をわかっておくことで、不快な気持ちと付き合うのが少し楽になります。

・説得したいなら、感情を受け止める必要がある


 相手を説得したいとき、一方的にこちらの話を聞かせてはいけません。説得というのは何かの「論理」を相手に認めさせることですが、論理を受け入れるためにはまず感情が納得しないと、人は受け入れることができません。
 なので相手を説得したいのなら、とにかく一方的に話すのではなく、相手の話を聞くことが大事になってきます。相手の今の感情を肯定して、受け止めて、それからじゃないと論理を相手は受け入れることができないのです。
 説得というと「どうやって言えばわかってもらえるかな」という風に考えてしまいがちですが、逆なのです。「どうしたら相手をわかってあげられるかな」と考えるべきなのです。そしてその方法はただひとつ、「聞く」ことです。説得したいなら、相手の話を聞く。その上で最後に少しだけこちらの話をする。すると相手は感情的に気が済んでいるので、こちらの論理を受け入れやすくなっています。
 感情→論理という順番で納得させていくのを意識すると、余計な反発を受けることなく自分の意見が通りやすくなるのは覚えておきたいところです。

・一定のリズムを持った「できること」を繰り返すと、落ち着く


 散歩、野菜を切る、車の運転、テトリスなど、一定のリズムを持った「できること」を繰り返すのは心を落ち着ける作用があります。考えなくてもできること、というのが大事です。そういうことを繰り返し無心で手を動かすことで、瞑想に近い状態になることができます。
 自分の内側に向き合い、心を鎮めるのが時に必要になってきます。そういうとき、頭を使わないでできる行為をするというのは、心にアクセスするために有効な手段です。
 創作をやっている方にとっては、創作意欲や想像力が回復する方法でもあります。アイデアを思いつくのは決まって散歩中か、シャワーを浴びているときか、車を運転しているときだと多くの人が言います。何もせず考えることに集中するのは実は難しく、何かをしながらの方が考えることに集中できるという特徴が人間にはあるのです。
 このとき重要なのは、「一定のリズムを持った」「考えなくてもできる」ことをやることです。
 心が騒がしいとき、そわそわするとき、ぜひやってみてください。
 何をやるか迷ったら散歩がおすすめです。

・他人の笑い声にイラっとしたら疲れている証拠


 笑い声というのは、本来「楽しい」という感情を伝えるものです。
 その笑い声を聞いてイラついてしまったら、他人の「楽しい」を受け入れる余裕がないということなので、疲れている証拠です。
 他のトピックで述べたのと同じで、これも自分のイライラに対処するための方法のひとつです。
 他人が笑っていると自分がイライラしてしまうのはなぜなのか、という問いに、「疲れているから」「心に余裕がないから」という答えを用意しておくと、対処の仕方がわかります。対処の仕方がわからないと、どうしていいかわからずイライラが続いてしまいます。
 こういうときの疲れは肉体的な疲れというより、精神的な疲れだと思います。回復するために好きなことをやったり、ゆっくりお風呂に入ったり、ぐっすり寝ましょう。

・人の悩みのほとんどは過去と未来のことなので、今に集中する


 人は多くの悩みを抱えています。しかしよくよく分解してみると、「過去への後悔」か「未来への不安」のどちらかに収束することが多いです。
 ここで重要なのは、どちらも「今ではない」ということです。
 つまり現時点で、過去も、未来も、ないのです。
 起きてしまったこと、過去は変えられません。
 起きるかもしれないこと、未来はまだ起きていません。
 実はどちらも、考えても仕方ないことなのです。なぜなら私たちは、常に「今」の連続に生きているからです。私たちがなんとかできるのは、変えられるのは、「今」しかないのです。
 もちろん未来のことを何も考えないのは無理です。明日の食費の当てがないのに、そのことを無視して何も行動しないのでは死んでしまいます。しかしそういう危機管理能力の延長に、「心配しすぎ」があります。
 どうしようもないレベルの過去と未来は気にしないようにしましょう。今に集中しましょう。過去や未来に大丈夫じゃないことがあっても、今この瞬間だけは、必ず大丈夫なのです。

・心変わりは何度してもいい


 これは私が精神科医の先生に言われたことです。私はこれを聞いてかなり楽になりました。
 一度決めたことというのは、守らないといけないような気がしてしまいます。
 しかし心変わりというのは、実は何回してもいいのです。
 周りからはいろいろ言われるかもしれません。ですがそれは一時的なものです。本当はこちらの方が良かったのに、という後悔をする前に、「やっぱりこちらにします」と言う勇気を持つことです。
 一度決めたことを守らないといけない気がするのは、主に二つの理由があります。
 ひとつめは、自分が誠実な人間に見えて欲しいから。決めたことを守るというのは、一貫性のある人間に見えます。約束を守るのは大切なことです。しかしその上で、本当に大事なことを優先できてないときなどに、「絶対こっちにした方がいい」という確信が後から芽生えたときに、変えてはいけないということはありません。人の心は常に変化するものだからです。
 ふたつめは、周りに迷惑を掛けるから。決めたことをコロコロと変えた結果、周りを振り回してしまうのなら、それは迷惑です。それを避けるために、決めたことは守らないといけない気がしてしまいます。ところが、よくよく考えてみると、自分が心変わりしただけで周りに迷惑がかかることは少ないことがわかります。
 自分の決断を変えることで、周りに迷惑が掛かるかをもう一度よく考えてみましょう。しかも多少の迷惑なら、掛けても大丈夫なのです。他人に迷惑を掛けずに生きることはできません。あなたが呼吸するせいで、他人の分の酸素が減っています。人は生きているだけで他人に迷惑を掛ける生き物なのです。だからこそ、迷惑を掛けないのではなく、迷惑を掛けられても許し合うことが大切です。
 心変わりをする程度では、他人に迷惑は思ったよりかかりません。もし迷った上で決断をして、やっぱり後悔しそうだなとわかったときは、心変わりしてください。それも何回でも。心変わりは何度してもいいのです。

・断るのに理由はいらない


 他人から何かを頼まれたり誘われたりしたときに、断りたいときがあります。
 遊びの誘いから、ちょっとした頼み事、仕事の依頼まで、他人から何かを要求される機会というのはたくさんあります。
 断るなら理由を言わなくてはいけないような気がしてしまいますが、実は理由なしに断っても大丈夫です。
 理由はないけど、なんとなく嫌だな、と思うようなこと。この「嫌だな」に従って断ってもいいのです。
 実際に断ると、「どうして」と聞かれるでしょう。大人になればなるほど、もっともらしい理由をでっちあげて断るようになります。ですが、実はそんなものはいらないのです。「嫌だから」で十分です。
 頼まれた相手への印象や関係が悪くなるから、今回はできない理由を言って断ろう、だと、逆に「次はできるときに」とまた頼まれてしまいます。
 はっきり「嫌です」と言った方が、そもそも頼まれごとをされなくなりますし、嫌な頼みごとばかりしてくる相手との関係を保ってもいいことはありません。
 大人になればなるほど言えなくなる「嫌です」という言葉を、言ってもいいのだと思いましょう。どうしても嫌なことは理由なく断って、理由を聞かれたら「嫌だから」で十分です。

・自分のメンタル回復行動をリストアップする


 イラついたとき、落ち込んだとき、やることを決めておくのが対処法として有効です。
 例えばひたすら単純作業のゲームをする、筋トレをする、散歩する、料理の下ごしらえをする、紅茶をゆっくり淹れるなど、手を動かすことがいいでしょう。
 手を動かして「できること」を繰り返していると、だんだんと落ち着いてきます。
 イラついたときや落ち込んだときは、心を落ち着けるために体の動きから入るというアプローチが有効ということです。
 自分が没頭できるもの、無心でできるものを見つけてリストアップしておきましょう。
 スマホのメモに保存したり、手書きで壁に貼ったりして、落ち込んだときはくよくよせずそれらの行動をすればいい、という風に用意しておきます。
 心が騒がしいときの対処法は、いつだって体を動かすことです。

・たくさんの足がある方が、自立できる


 自立というのは、誰にも頼らずに生きることだと思われがちです。
 実は逆で、いかに多くのものに頼るか、が自立なのです。
 なぜかというと、多くのものに頼った方が、ひとつひとつへの依存度は低くなります。だからひとつがダメになっても、他のものがあるから大丈夫、という状態になれます。
 依存先が少ないと、逆にそれらがダメになったときに頼るものがなくなってしまいます。
 誰にも頼らずに生きることはできません。あなたがお金を稼げているのも、会社や取引先があるからです。安定した自分を確立するには、むしろいかに依存先を増やすかを考えましょう。
 会社での自分、ゲームのコミュニティでの自分、趣味の楽器をやる自分、家族と関わる自分、地域のコミュニティでの自分など、いろんな自分を持ちましょう。そうやってたくさんのものに支えられている方が、安定して自立できるのです。

・言葉は呪いにも祝福にもなる


 私たちは何気ない一言で知らず誰かを傷つけ、何気ない一言で知らず誰かを救っています。
 言葉にはその後の人生でふと思い出されては行動や心理や感情を制限する「呪い」となる場合と、肯定感やがんばる気力が湧いてくる「祝福」となる場合があります。
 親や友達に子供の頃言われた一言がいまだにトラウマだとか、小さい頃先生に褒められた一言がずっと自信に繋がっているだとか、言葉の力が人生を左右することは多くあります。
 多くの場合、呪いも祝福も、自分では気づくことができません。
 自分にとっては何気ない言葉が、相手にとっては大きな力を持つからです。
 祝福になれば幸運ですが、では呪いを恐れてコミュニケーションをやめた方がいいのでしょうか?
 違います。その上で、気をつけながらやり取りをしていくしかないのです。なぜなら他人と完全にコミュニケーションを絶って生きていくことは難しいからです。
 「この言葉は相手にとって呪いにならないか?」という自問をし、相手にとって祝福となるような「認める」言葉を使う。それがコミュニケーションで大事なことだと思っています。

・ネコチャン、でかい犬


 自分にとってときめくような存在を知っておくのは、自衛のために有効です。なぜなら、それらの存在のことを考えているとき、一時的に苦悩から思考が離れているからです。
 例えば私にとっては「でかい犬」がそうです。白くてでかい犬が家に居たらどれだけ幸福だろうと想像を巡らせるのは、癒しの効果をもたらしてくれます。
 人によってはそれが「ネコチャン」であったり、「カワウソ」であったり、「ハムスター」であったり、「河原のナイスな石」であったりします。
 脳が苦悩のループに囚われているとき、癒しを得るためには他のことを考えるのが有効です。そのために自分のときめくものを把握しておきましょう。

・酒を断る理由は「この人に付き合って寿命を減らしたくない」


 私はほとんどお酒が飲めないのですが、会社の飲み会などをどうやって断ろうか悩んでいた時期がありました。なにせお酒は飲めないし、仕事や人間関係の愚痴ばかりでまったく楽しくなかったからです。
 そのとき知ったのが、「一生のうちに心臓が打つ鼓動の回数は決まっている」という説でした。
 この説が科学的に正しいかはさておき、お酒を飲むと心拍数が上がります。つまり、普通に過ごすより寿命が余分に減るのです。
 「寿命を減らしてまでこの人との付き合いをしたいか?」
 そう自問したとき、飲み会をスッと断れるようになりました。
 理由を聞かれたら、「あんまり飲み会得意じゃないんですよ」くらいで断って大丈夫です。いずれ「この人は飲み会には来ないんだ」と認識され、楽になります。
 付き合いで飲み会に行って後悔しがちな人は、寿命を削ってもいい付き合いかどうか自問してみましょう。

・私には私の、あなたにはあなたの地獄がある


 他人の過去は想像を絶する地獄に塗れています。自分がどんなに人生めちゃくちゃでも、他人は他人で、その人なりの地獄を切り抜けている最中なのです。その上で、今笑っているのです。
 ひどいことが重なると、どうして自分ばかり辛い目にと思ってしまいます。ですがそれは自分だけではありません。
 しかし「だから我慢しろ」と言っているわけではありません。
 「私には私の、あなたにはあなたの地獄がある。だからお互い今の地獄を何とか切り抜けて、笑おう」というスタンスを取るのです。
 「あの人は何にも悩みとかなくて幸せそうだな」なんて思うのではなく、その人が地獄にいながら笑っている可能性を想像するのです。
 そうすると、自分が地獄にいても、少しだけ優しくなれます。
 そして誰かが助けの手を差し延べてくれたとき、それを信じることができます。
 「お前なんかに私の苦しみがわかるものか!」と思ってしまうと、助けの手を信じられなくなって、跳ね除けてしまうことがあります。
 そうならないために、そしていつか自分も周りに助けの手を差し延べるために、互いに地獄があることを知っておくと良いと思います。

・丁寧に字を書くだけの時間を持つと、落ち着く


 繰り返すと落ち着く作業というのは人それぞれですが、私の場合は字を書くことでも落ち着きます。
 手書きで字を書く機会はどんどん減っていますが、だからこそ意識的に好きな文章や歌詞をゆっくり書き写してみたり、思っていることをつらつらと書き出してみる時間が、癒しにつながります。
 落ち着きや癒しを得る上でのキーワードが、「手を動かすこと」です。
 そわそわして落ち着かないとき、動揺しているとき、手を動かしましょう。そのうち落ち着いてきます。

・愚痴を聞くときは、河原で横に並んで座って水面に石を投げる感じで


 他人の愚痴を聞く場面があります。そういうときの心構えとして、「入り込みすぎない」というのが重要になります。
 愚痴というのは「どうしようもないこと」や「行動すればいいのにしたくない、できないこと」などを含むので、アドバイスではなく「ただ聞くこと」が聞き手には求められます。
 その上で、愚痴の内容や語り手に共鳴し過ぎてしまうと、自分も巻き込まれてしまいます。
 そのための心構えが、「河原で横に並んで座って水面に石を投げる感じで」です。
 横に並ぶのが重要です。正面で向かい合って真剣に話を聞くのは、愚痴を聞くときにはやり過ぎなのです。相手もどんどんエスカレートして、言い過ぎてしまうのを助長してしまう可能性があります。だから横に並んでいる感じで聞きます。
 さらに、水面に石を投げながら聞きます。これはちょっとしたことをしながら聞けば、真剣に話を聞き過ぎないことができる、というイメージです。
 話を聞くことは、上達すればするほど語り手の心に入り込む大きな力を持ちます。どんな話も真剣に聞きすぎると、相手のためにもならないと思った方がいいです。信じられないほど信頼されたり、期待されてしまい、やがてそれに応えなかった時に好意が反転してひどいことになる可能性があります。
 「愚痴を聞いてもらいたい」人に「ただ愚痴を聞く」という聞き方をするために、河原で石を投げましょう。

・何度も同じ話をする相手は情報ではなく感情を伝えたい


 同じ話を何度も何度も繰り返す人がいます。困りますよね。
 そういう人が伝えたいのは、話の内容(情報)ではなく、感情です。
 なので同じ話をされたときの聞き方は、感情にフォーカスして、その感情を認めてあげることです。
 「楽しみなんだね」「嬉しかったんですね」と、相手がその話をする上でどんな感情を伝えたいかを読み取って、認めてあげましょう。
 そうすると相手は満足して同じ話をしなくなりやすいです。
 それでもしてくるときは「それずっと言ってますよね。本当に楽しみなんですね」のように、やはり感情を繰り返し認めてあげます。
 そうすることで、「一度聞いた情報をもう一度聞かされても得がない」という考え方から「この人は何度も繰り返し伝えたいくらいの感情があるんだな、受け止めてあげるか」という考え方にシフトしやすくなります。

・集団行動では「今は何待ちの時間なのか」をこまめに示すと不安を持たれにくくなる


 集団行動を取り仕切るとき、何かを待つ時間というのはよく発生します。そういうとき、周りの人は「これ何の時間?」と思っています。自分でも思ったことがあると思います。
 そういうとき、人は不安になったりイライラしたりしがちです。未来がわからないからです。
 なので自分が集団行動を仕切るときは、こまめに「今は何待ちの時間ですよ」と示してあげると余計な不和が発生しにくくなります。

・全部説明しない、相手がわかればいいところまでする


 何でも全部説明してしまいがちな私にとっての自戒なのですが、すべてを説明しようとするのは相手も求めていないことが多いです。
 相手には知りたいポイントがあって、そこさえ押さえればあとは説明しなくてもいいのです。
 一方的に話す側が気持ち良くなるような話し方はやめたいなと思っているので、これを気をつけています。

・やらかした人に追い討ちをかけない。本人はずっと自分を責めている


 職場のミスや、子供の失敗、夫や妻の気になるところなど、私たちは「何かをやらかした人」に追い討ちをかけてしまいがちです。
 それは例えば「次は失敗して欲しくないから言ってる」のような気持ちを含んで行われますが、ほとんどの場合、本人が一番自分を責めています。
 なので一度やらかした人に対して、追い討ちをしないことは気をつけたいところです。
 すでに何度も自分を責めている相手に対して、さらに責める必要はどこにもありません。それは自分が「責めたい」という気持ちを満たすだけです。
 人は他人をいじめていい理由があるとき、驚くほど誰もがいじめてしまいます。やらかした相手だから何を言ってもいい、のようになりがちなのです。
 しかし追い討ちをしても、相手は萎縮するばかりで余計に行動が消極的になってしまいます。必要以上に緊張して、また同じやらかしをするかもしれません。
 追い討ちは相手のためではなく、自分が気持ち良くなるためにやっているのだということを自覚しましょう。やらかしを繰り返されると自分の不利益になるとしても、そっと見守ることが最も次のミスを防ぎます。

・「今は適切な言葉を選ぶ余裕がありません」


 気持ちに余裕がないとき、言い合いをすべきではありません。そう状態のときは言い過ぎてしまいます。
 そんなときに、「余裕がない状態で言葉を発するととんでもないことを言ってしまいそうなので、やめておきます」という意思表示をするための言葉がこれです。
 自分が余裕なくなってるな、と思ったらこの言葉を口にするようにします。そして黙るのです。そうすることで取り返しのつかないことを言わずに済みます。
 そして相手がめちゃくちゃなことを言ってきたときも、「適切な言葉を選ぶ余裕がないんだな」と一歩引いた目で見るようにします。すると相手の言葉自体に刺激され過ぎず、冷静に対処しやすくなります。

・「怒った方がいい」ではなく、「我慢しない方がいい」


 怒った方がいい場面というのはほとんどありません。「怒る」以外の伝え方を私たちはいくらでも選べるはずです。怒ることで伝えてしまうと、余計な感情の波風を相手の心に立てる上に、相手に内容が伝わりません。相手が覚えているのは内容ではなく、「怒られた……」という気持ちだけです。これでは何も伝わっていないのと同じです。
 そうはいっても、理不尽な扱いに声をあげなければいけないときはあります。そういうときに「怒った方がいいよ」という人がいますが、言葉が少し違っていて、本当は「我慢しない方がいい」なのです。
 我慢してうまくいくことはたくさんあります。しかし、我慢しない方がお互いに幸せになる場面というのもあります。そういうときに、「怒る」という伝え方を選ばない。
 怒るとコルチゾールというホルモンが分泌され、一種の快感を得てしまうため、いずれ「コルチゾールを分泌して気持ち良くなるために怒りたくなる」という怒りやすい状態になってしまいます。負のスパイラルです。
 そうならないためにも、「怒らない」けど「我慢し過ぎない」。これが大事です。

・20代、自分にかけられた呪いに向き合って、うまく成仏させたなら、そこから本当の人生が始まる


 言葉は呪いにも祝福にもなります。
 自分がかけられた呪いについて、たとえ今まで目を背けてきたとしても、いつかは向き合う時が来ます。たいていは20代で、大人として自立する上で「子供の頃の自分」に向き合うのが必要だからです。
 「成仏」という言葉を使ったのは、呪いには自分のたくさんの想いがまとわりついているからです。
 例えば私の場合だと、小学校の家庭科の授業で、裁縫のやり方を女子に馬鹿にされました。玉結びという結び方がどうしてもわからなくて、それが簡単にできた女子に馬鹿にされたのです。結んではいけないと教わったのに、結ばないとどうしてもできないように見えました。そこでショートしてしまったのです。それ以来ずっと裁縫に苦手意識を持っていました。
 ある程度大人になってから、その話をしたある人に「玉結びって結んでもいいんだよ」と言われました。一気に視界が明るくなったような感覚でした。玉結びは結んでもよかったのです。そう言われた私は、玉結びができるようになりました。取れてしまったボタンを自分でもつけてみようと思うようになりました。裁縫ができない自分に劣等感を感じていたのが、一気に解消されました。これが成仏です。
 実際に裁縫がすごくできるようになったわけではありません。玉結びができるようになっただけです。変わったのは意識の方です。呪いがやっと成仏した瞬間でした。
 呪いを成仏させるには、呪いと同じように、他人の何気ない言葉がきっかけになったりします。しかしその言葉を受け入れられる状態になるには、自分で呪いに向き合う時間が必要です。
 別に20代でなくても構いません。何歳だろうと、自分にかけられた呪いに向き合い、うまく成仏させたなら、すっきりとした本当の自分の人生が始まる感覚を得ることができます。

 これらの知見があなたの気持ちを少しでも楽にすることを願っています。

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