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数秘33のあれこれー恋愛観について②

私は人と出会って何かをするとき、実はみんなのことをいきなり家族のように感じています。


でもちゃんと境界線が必要なこともわかっています。人それぞれ許せる範囲があると思いますし、許可なくしていきなり近くに寄られることを嫌だと感じることもわかっています(私にもそれはあります)。


数秘33は、人を家族のように思って接するのでとてもフレンドリーに見えますが、突然他人行儀になったります。それは、途中で「あ、ちゃんと距離を取ろう」と思うからです。みんなと昔から知り合いのように楽しみながら、でも一人の時間も大事にします。


基本人が好きです。これが恋人同士になると、心からパートナーのことを理解して、ただの恋愛相手としてだけではなく、一人の存在として尊重しようと自然と努めます(若いうちはなかなかもっと苦労しますが)。


色んな人と恋愛関係になることが多いですが、そのうちに、たった一人の人を探すようになるのではないかなと思います。自分の心を敏感に感じ取るので、自分の心が喜ぶ人を直感的に感じて、そうなるともうその人以外に他にはいないだろう、と感じるのだと思います。この感覚は、経験してきた恋愛で、快、不快がどのようなものなのかを味わうことによって、少しずつ磨かれていきました。


私は恋愛について、たまに知り合いに聞いたりするのですが、「魂の兄弟のソウルメイトがいるよ」と言われました。そのソウルメイトとは、出会うとありえないくらいの親近感と、「昔から知っている」と感じる懐かしさがあるそうなのですが、私はそれを体感したことがあるのですが、一瞬でとにかくとにかく、心地よい、懐かしい、自分の仲間だと感じました。


私が心地よい、と感じる性質は、爽やかで、優しくて、ユーモアがあって、前向きで素直で、人も自分も大事にして、周りの状況を見て、子供のように無邪気で元気ですが、思慮深いことです。


人はそれぞれ性質が違いますが、私自身はそのようにありたいと思っています。なぜなら私自身がそうである状態というのは、最高の波動で心地よいからです。


みなさんもそれぞれの最高の状態があると思います。人間の体は引力によって重く感じますし、感情のエネルギーもいろいろなので、いつも最高の状態であることは難しいですが、定期的に自分の最高を体感できる瞬間を持つようにすると、だんだんとその状態でいることの方が多くなっていくような気がします。


何かにチャレンジしようとするときに、それが自分の背中を押してくれることになります。だんだんと自分の中の芯の部分がわかってきて、出来事に対する見方が変わっていき、余計な力が抜けていき、昔とは違う考え方に変化していきます。


このような変化があると、自分の好きな分野に改めてまた新しい自分で取り組んでみたい、とワクワクするのです。



ちなみに念の為「最高の状態」を誤解のないように書きますと、「オールマイティになんでもこなせる自分」のことではありません。


自分と自分以外の存在(人間含めた動植物、鉱物etc)との共同作業をそれぞれの性質によって補って楽しめる状態です。


私は言語化が苦手なコミュ障ですが、そこまで気にしていないのですが、なぜかと言うと、人から「それでもいいよ」と優しくしてもらった経験があるからです。気持ちを上手く表現できなくてアップアップしていても、その状態の私に向かっている相手の人柄、人格が、高ければ高いほど、私がうまい下手、と言うことはどうやら関係なさそうで、理解しようとしてくれるその姿勢そのものが、私にとってはたまらなく快感なのです。


壁もなく恐れもなく、好奇心によって私と接してくれるその姿勢を通して神聖が見えるので、その人の神様を見る感じです。その神聖とは、存在の超根本なので、「あなたにはあるだろうけど私にはない」と言うことはありません。人格、人間力が高いと言うことはそれを知っていると言うことであり、見かけに惑わされないことでもあると思います。


そんなことを味わうにつれ、私の中で安心感が生まれ、苦手分野に変に悩まなくてもいいんだなと、だんだんと自分に対しての向き合い方が変わっていきました。


そういった変化の中、「恋人と一緒に過ごす人生を送りたい」と言う、自分以外の存在である赤の他人と、これまた近いがために波乱が想像できる人間関係においても、そういう安心感を味わってみたい、との好奇心が起こりました。


よく聞く「私が私を好きでいられる人と付き合おう」を今度こそ、味わいたくなったのです。


これは、相手に「そうあってほしい」と望むことではなく、そんな恋愛をしたい私と相性が合う人とできるのではないかと思います。


こんな感じで、恋愛に対しても他のことに対しても、何度も挑戦してより軽やかな自分を体験できると、生きるって面白いな、と思えます。そうやってまたまた好奇心が起こり、何度も生まれ変わってきたくなるのかもしれません。


自分が安心できて、自分らしく生きて、さらに他人と共同作業(チームワーク)の楽しさが味わえるという、ご飯を食べるためだけに働くのではなく、最高の自分で人生を表現するという存在本来の根本的なお仕事を、なんの制限もなくやっていいのだとしたら、次はどんないいことが待っているのでしょうか。


こんなことを味わいたすぎて、私の今までの人生の中で感じてきた考えてきた全てのことが、生きる糧となってしまいました。そしてこれは私の課題なのですが、こういったことを人生の中で味わいたいのなら、怖いと思うことでも、「きっと大丈夫」と自分と周りを信頼して取り組んでみる必要があるのと思います。


お読みいただき、ありがとうございました。何かの参考になれたら嬉しいです。


sayaka










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