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誕生日のプレッシャー

今年もこの季節がやってきました。2月は私と娘の誕生日があります。

誕生日と聞くと、喜びいっぱいの幸せな場面を思い浮かべる方が多いのではと思います。子どもの誕生日ならなおのこと。世のお母さんたちは、数日前からケーキやプレゼント、手紙、飾り付けなどを用意して当日を迎えるのではないでしょうか。

しかし私には、苦い思い出があります。

娘の誕生日に、「娘を満足させてあげなきゃいけない」という、プレッシャーに負けてしまったのです。

プレッシャーに負けた、その日のこと

それは不登校も半ば、2年前のこと。
せめて誕生日は楽しく過ごしたいと、娘を喜ばせるべく理想を思い描き、娘のリクエストに応えようとする私。

ケーキを買いに行き、仕事を片付け、弟のお迎えに行って、手作りピザを焼いて……。一人でそうこうしているうちに、私のキャパはあっという間にギリギリラインに。(平日は夫の帰宅が遅いためワンオペでした)

家族だけでお祝いのはずが、夕方になって娘から「友達も呼びたい」と言われました。私の心のゆとりはゼロ……。ですが、それでも娘の希望をなんとか叶えようと、YESと言ってしまう自分がいました。

娘は当時頼りにしていた数少ないお友達と一緒に過ごせて良かったに違いありません。私も娘の嬉しそうな顔を見ることができて、それはそれで、がんばった甲斐があったと感じました。

しかし、問題はそのあとに起こりました。
お友達が帰って、子どもたちの寝る準備をしなければならない時間に、キッチンを見ると、山のように積まれた洗い物が……。まだやらなきゃいけないことがあるのかと思うと、どっと涙が溢れ出てきました。

様子のおかしい母親に気づいた娘が、「私は友達とも一緒にお祝いできて、嬉しかったよ!」とやさしい言葉をくれました。

「でも私はあなたのことを、気持ち良くお祝いできなかったことが悔しい」
そして、挙げ句の果てに、私はおいおいと泣き崩れるのでした。

誰のための誕生日?

その翌日、無念な気持ちを引きづりつつも、幾分冷静になって一日を振り返った私は、いくつかのことに気づきました。

私にとって娘の誕生日は、”娘が幸せを感じられればOK”ではなく、
”娘を思ういい母親として振る舞いたかった”のかもしれないと。

でも結果、それを思い通りにこなすのは、無理だったということ。
娘は別に、私に対してそれを望んでいないということ。
そして、娘の誕生日は、私を満たすためのものではないということを。

「あれ、私何してたんだろう?」と思うと同時に、日常的にそうした姿勢で子育てをしていたような気がして、ハッとしました。

娘の人生は、私を満たすためのものではなく、娘のもの、なのです。

ゆるくてもいい、お互いに笑って過ごそう

この日のことは、娘にとって、面倒極まりない出来事だったのではないかと思います。今思い出しても、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんな前科を思い出し、じゃぁ、今年の誕生日をどう過ごしたいかと考えながらこれを書いています。

大切なことは、娘が幸せを感じられる一日であること。そのために、私も心地よくいられること。だから、私の理想は詰め込まない、完璧を求めない、ゆるゆるでもグダグダでもいいから、娘に生きていてくれてありがとうと伝えて、笑って過ごしていたい。今はそう思っています。

今年はどんな誕生日になるかな。

Sayaka.M


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