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どこまで近づけるのか…? 森村泰昌「ワタシの迷宮劇場」

年を追うごとに、ますます活躍が目覚ましいアーティスト森村泰昌。彼の生み出す作品には唯一無二のおもしろさ、素晴らしさがあるのだが、それに加えて展覧会のコンセプトがいつもながら興味深い。

地元大阪での初個展となった国立国際美術館での展覧会も、もう5年以上前。

そして、北加賀屋に個人ミュージアムをオープンさせたのが3年前。

今年に入って久しぶりに再訪しました。テーマがあまりに興味深くて!


さて、今回の展覧会、これまで見てきた森村さんの展覧会で、一番ほんとうの彼に近づけたような気がした。
「いやいや、わかったつもりなってもらっちゃ困るよ」という彼の声が聞こえそうですが…。

京都市京セラ美術館の新館、東山キューブの四角い会場に、美しいドレープのカーテンが幾枚も吊られ、そこに小さな写真が飾られている。

会場には順路がない。どの作品を見たか、見てないか…わからなくなってくる。

写真は、これまで見知った、かの作品たちを撮影したときのテストだろうか?世に出された作品のよそ行きの顔をめくったところにある、生身の森村が写し出されているように感じる。それも小さな写真だから、必然的に鑑賞者は顔を近づける。まるで、森村のプライベートを覗き込むように…。親密な気持ちを抱く一方、後ろめたさも感じるような、複雑な心境だ。

800枚以上の膨大な写真を一枚一枚見ていると、これはいったい、なんといえばいいのだろう…?。
「装っている」「演じている」「なりきっている」「憑依している」・・・
これまで森村の作品は、非常に冷静に綿密に設定を作り込んで生み出した写真だと思っていたが、いや、そうではない。彼とモデルになった人物は一体となっているんだ!
あらためて彼の作品のおもしろさと、唯一無二のアーティストである森村泰昌という存在に恐れ入った。

そう、森村にとっては「演じる」は重要なキーワードだ。
会場内では「声の劇場」《影の顔の声》が上演されている。まさしく森村の声と光と香りが織りなす妖しい芝居だ。
ちょっと回顧展的な要素も期待していたので、会場に入って「え?小さい写真だけ?」と思ったら大間違いの、五感に訴えるような、しびれる体験をさせてくれる素晴らしい展覧会。未見の人は急いで!

ワタシが、いちばんグッときた写真。


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