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真紅が揺れる

「皆さんにとってはシルバーウィークかもしれませんが、実は本日はお彼岸なんですよ」

日本屈指の有名寺院。
山の頂上付近に門を構えるその寺には、多くの人が参拝に来ていた。天気の良い暑い日差しも、山の頂上付近になると涼しく心地良い。多くの参拝者が耳を傾ける中、お寺のお坊さんは言った。

「できることなら、ご先祖様のお墓にお参りに行って下さい。
持っていくもには3つ。お線香、お花、蝋燭です。
お線香は香りの良いものを選ばれた方が、お喜びになられます。」





私の実家は、季節や宗教の行事重んじる方だと思う。お盆やお彼岸は必ずお墓参りに行くのが通例だ。今年も、既にお墓参りは済ませていた。
ただひとつだけ、心に引っ掛かったことがあった。

お墓参りをしていない場所が、ひとつある。



初めてのお参りは二十歳の成人式の前の日だった。
あれから数年。
人生の節目に彼を思い出す。
昨年の7回忌はお参りできなかった。
もう7年も経った時間の流れに驚く。
持ち物は、お線香とお花と蝋燭。
お花は、菊とコスモスを束ねた。


お墓には立派な櫁が供えられていた。初めて来た時もそうだった。あまり花は供えない家なのだろう。だったら余計に他所の者が来たとバレてしまうなと思いながら、束ねた菊とコスモスを櫁の横に添えた。
お線香は母が香りの良いものを持たせてくれた。普段使うことのないマッチは、1本失敗して無駄にした。




何を思って拝めば良いのかわからない。
それは今に始まったことじゃない。
始めて来た時だってそうだった。
お参りの期間が空いてしまったのもそのせいだ。
お墓参りに来ているのにおかしな話だと思う。
なんのためにお墓参りをしているのかを、自分自身が一番わかっていない。


ずっと頭の片隅にあった。
ずっと心の奥底に引っかかってた。
彼が何故亡くなったのか、少し前に知ってから、彼のことを考える時間が減った。
全てがわかったわけではないのに。
状況が変わるわけでもないのに。
変わっていく自分のことを非情に思った。

「それだけ思ってくれる人がいるなら、きっともう十分だよ」
友人は言った。
でも、それじゃダメな気がした。
変な義務感と正義感に駆られて足を運ぶ。
頼まれてもいないのに、強い意思があるわけでもないのに、勝手に来て、花を供えて、線香を上げて、手を合わせることを、どうか許してほしい。そう願いながら目を閉じた。
結局私は何のためにここへ来ているのだろうか。

「ただの自己満足じゃないの」
どこからかそんな声が聞こえた気がした。





これだけ月日が流れているのに、心の整理はまだついていない。
彼を知っている者同士で腹を割って語ったこともほとんどない。
何と言ったらいいのかわからなくて。
何も言ってはいけないような気がして。
心の整理をつけてはいけない気がして。



これまで季節の行事だと思っていたお墓参りも、歳を重ねるごとに思うことが増えていくのだろう。永遠の生などないとわかっていながらも、いずれ来るであろう未来を信じたくない。
近所のおばあさんが亡くなった過去。
遠い親戚の急な訃報。
災害や事故で亡くなった方のニュース。
ふとした瞬間に感じる祖父母や両親の老い。
日々いろんなところに溢れている生と死の話を、
これ以上身近に感じたくないと思ってしまう。


彼岸花が妖しげに美しく咲き誇るこの季節に、
きっと私は毎年何かを感じとりたくて、
きっとこれからも何も感じとれないのだろう。


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