鰯雲が流れたら
私の生まれ故郷は、日本屈指の観光地だ。
毎年国内外から多くの観光客が訪れる。
それに気づいたのは小学生の頃。
「ねえねえ、今朝ニュースで都道府県の人気ランキング見てたらさ、うち1位だってさ!!」
大方こんな友人の報告を受けたのがはじめだった。
まさか。
北の大地でも、南の島でも、日本の首都でもなく、何故ここが。
そんな疑問を抱いたのを今でもうっすら覚えている。
それから年月が流れ、大人になった今ではよくわかる。
やはり、私の生まれ故郷は、日本屈指の観光地だ。
だからといって、観光に行くことはほとんどない。
授業や研修の一環で行くことすらあれど、平日ですらインフラが混雑するのに、さらに混み合う休日に人混みに出向こうと思ったことがなかった。桜や紅葉が見頃の時期は言わずもがな。
通学の満員電車がさらに混雑した思い出しかないのが正直なところだ。
そうは言っても、多くの人々が訪れる場所だけあって、きっと見応えはすごいのだろう。遠くに住む友人にも言われた。
「せっかく地元で気軽に行けるのにもったいない」
なるほど。それならその地元の特権を使ってみようか。
そう思って、最近はしばしば観光に出向いている。
観光地のほとんどは寺社仏閣だ。
私自身、もともとそういったものはすごく好きなのだ。
無計画に出向いて思いの外混雑に合ったり、早朝の時間帯は比較的空いていたりといろんな発見がある。こじんまりしたところもあれば、大規模で派手なところもある。燃えるような紅葉と庭園が美しい。人々が訪れる理由がわかる。
「10年ほど前は、閑古鳥がないてたんですよ」
ある寺院を訪れたときのこと。
そこは中心地から少し離れた山奥。紅葉と花手水が有名で、それを目的に訪れる人は多い。
決して大きくはない庭園は、1階、2階、3階と階が上がるにつれて景色を変え、広くはない分奥行きが深い。水の流れる音や鳥のさえずりが心を洗い、各地に施されている花手水の心遣いが優しい。今ですら国内外から多くの観光客が訪れる場所だが、それもここ数年のことだという。
そう話すのは、併設されているお茶屋さんの店主とお坊さん。
秋晴れの空が急変し小雨が降ってきた中、私と、ちょうど近くで話していたお兄さんを雨宿りの名目で迎えてくれた。
「お寺はね、仏像の手入れや維持費でザルのように費用が流れていきますから。土日も人がほとんど来ないような寺で、檀家さんもとっていなくて、これはいかんと若い人たちで立ち上がりましてね。」
これまでの経緯を私たちに教えてくださったお坊さんは、どうやらこのお寺の方ではないらしい。
「お寺での修行で学べることは、そこまでしなくとも、身の回りの日常の中で感じられるものなんですよ。」
そう言って焚いてくださったお香が優しい。
出してくださったお茶とおはぎがあたたかい。
「このおはぎも、それをただ家に持って帰って食べるだけじゃ全然味が違うと思うんですよ。この景色と、音と、香りと、この雰囲気に包まれて食べるからこそ感じられる美味しさがあるんですよね。若い人たちに、それを知ってほしくてね。」
最後まで腰の低いお坊さんは、またお茶だけでも飲みに来てくださいねと、店主の方と見送って下さった。
私の生まれ故郷は、日本屈指の観光地だ。
毎年国内外から多くの観光客が訪れる。
私もここ最近、いくつかの観光地に出向いた。
そうして、よくわからなくなった。
流れる水の音も、
鳥のさえずりも、
風になびく風鈴の音も、
揺れる木々のざわつきも、
その全てを感じ取ろうとしたときに必ず耳に入ってくるのがカメラのシャッター音だ。スマートフォンのカメラから立派な一眼レフまで各々異なるが、写真を撮っていない人はまずいない。
広い座敷には、人が映り込まないようにと暗黙の了解でぽっかりあいた空間と、その後ろに授業参観の如くカメラを構えて連なる人々。なんの列かと思えば、花手水の写真を撮るためだけの列。
皆、景色と自分の間にカメラを構えている。
そんな風景に少しだけ悲しくなる。
心惹かれたものや美しいと思った空間を、
いつでも思い返せるように持ち帰ることができる。
その時の感動を思い返すことができる。
周囲の人に広めることができる。
それはとっても素敵なことなのだけれど、
もし綺麗な写真を撮ることだけが目的になってしまったら、
もし思い出しうる思い出自体がなくなってしまっていたら、
その写真は一体何のためにあるんだろう。
「お寺での修行で学べることは、そこまでしなくとも、身の回りの日常の中で感じられるものなんですよ。」
音と、香りと、景色と、
その空間に身を委ねるからこそ感じられることが、きっと、どこかに、あるんじゃないか。
彼が教えてくださった学びと心遣いへの敬意を、私は少しでも大事にできたらと思うのです。
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