おにさん、こちら
「その日はにゃんにゃんにゃんの日だね。」
先輩にそう言われてカレンダーを見た。
2022年2月22日。
2がたくさん揃うこの日を、世間はにゃんにゃんにゃんの日と呼ぶらしい。
犬派?猫派?
何故かよく二択で聞かれる質問に今まではどっちつかずに答えていたけれど、最近は猫派と答えている。ちょうど1年ほど前、正月ボケもようやく薄れてきた頃、あのこがうちにやってきてからだ。
「元気にしてるか」
毎週送られてくる母からのメッセージ。私の体調の確認と母の近況報告が主で、ほとんど生存確認に近い。簡単な返信で済ませてしまうことが多かったのだが、その日のメッセージにはいつもの内容に加えて、目を引くメッセージが送られてきた。
「いろいろあって、猫を拾ったよ」
まだ気温の低いある日のこと。
実家の前に一台の車が停まった。たまたま外に出ていた父が何気なく見ていると、走り去った車のあとに一匹の猫がいた。正しく言うと、置き去りにされていた。
なんてことをするんだと思いながら、さっき猫がそこで捨てられてて、という話を家でもしたそうだが、そこでじゃあ飼いましょうとなるほどうちの実家はお人好しではない。というより、田舎なもんだから、猫くらい山々で好きに生きていけるだろうと思ったのが本音だろう。
と、ここで終わりかと思ったのだが、思いの外、猫が懐くわうちの周りを歩くわその辺の草を食べるわで、どうしたものかと思った翌日の朝。母が外に置いてある洗濯機の中から洗濯物を取り出していると、何やらあたたかいものと手がぶつかった。もしや、、と思い中を覗き込んでみると、昨日の猫が逃げもせずこちらをじっと見上げているではないか。まだ布団の中だった弟もそれを聞いて飛び起きてきたらしい。
なんだか変わった猫だなとひとしきり笑い、少しうちで様子を見ることになった。
もともと飼い猫だったこともあり、すぐに懐いた。ここ最近はあまり食べれていなかったのだろう。ところどころ禿げていて、毛並みも綺麗とは言えずやつれていた。キャットフードなんてものはないので、うちにある食べれそうなものを出すと、勢いよく食べていたそうだ。
数日経った頃、祖父が口を開いた。
「そろそろどこかへ連れて行こう」
言い方が難しいが、祖父は昔からの人間だ。連れて行く先が、役場なのか近くの山なのかはわからないが、猫をペットとして飼うなんていう発想はもとからなかった。
まあそうだよな、と皆がそう思って話がまとまりそうになった頃、弟が泣き出した。
「このこは、一度捨てられたのに、また捨てられないといけないの?」
母は、弟がこう言ったことの方が泣きそうだったよと私に言った。
「まったく誰に似たんだか」
5人兄弟の下から2番目の母は、昔から忙しない人だったらしい。落ち着きがある優秀な兄姉と比較して、やんちゃで走り回っているような子どもだった。
そんなある日の帰り道、段ボール箱に捨てられた1匹の猫を拾って帰ってきた。親の反対を押しきって飼い始めた灰色の猫をミーコと名付けた。家猫として飼うのは許されなかったが、寒い冬の日はこっそり部屋に呼んでよく一緒に寝たそうだ。上の兄姉と年が離れてたから、動物ばっかり仲良くなったんだよと、今でもたまに笑って話している。
この日から、このこはうちの猫になった。
名前は銀。
やつれてところどころ禿げている身体だけど、よく見ると銀色の毛が綺麗だった。
それから私はこれまでよりよく週末に実家に戻った。銀は会ってものの5分で膝に乗ってくるほど人懐っこかった。
一見軽そうに見える猫も、膝の上に長時間乗ると案外痺れてくる。猫の舌は想像よりもザラザラしていて、顔を舐められると少し痛い。甘噛みは、遊んでほしいのか甘えてるのか怒ってるのか、正直わからない。ピエールボナールの猫の絵を大袈裟だと笑ったことがあったけど、あれは大袈裟でもなんでもなくそのままを描いたのだということもわかった。日向ぼっこして好きなだけ寝ている銀を見て、生まれ変わったら猫になりたいと切実に思った。
心と身体が疲れた時は、拒むことなく銀が癒してくれた。寝坊助な私を起こしに来てくれた。かくれんぼをして遊んだりもした。銀が隠れたのを見つけると、すぐ別のところに隠れて私を待つ。猫はそんな遊びもできるのかと驚いた。
禿げはもう目立たなくなった。
換毛期も経て、毛並みも良くなった。
少し食べ過ぎているのか、以前より首回りに肉がついた。
家猫として飼うのは許されなかったので基本は外にいるのだが、遠くに遊びに行く時はいってきますと鳴いた。戻ってきた時はただいまと鳴いた。チュールがもらえる17時には、いつも1時間くらいフライングしてにゃーにゃー鳴いた。あれだけ反対していた祖父も、面白い猫よと可愛がった。
あれからちょうど1年と少し。銀は家出した。
猫が家出なんて、変な表現だと思う。これまでにも時たま家出をすることはあったが、2、3日で戻ってきた。家出をしてもう1週間ほど経つ。弟は、絶対戻ってくると言っている。
この寒い中どこにいるのかと心配して、母は時々名前を呼ぶそうだ。今度は何日で戻ってくるやらと言いながら、同僚の猫は1ヶ月して戻ってきたと聞いたと話す。猫の習性がどうとかいう一般論は敢えて話したくない。母が一番心配して寂しそうなのだ。
銀。いまどこにいるの。
ちょっと冒険したくなっちゃったんだろうか。好奇心旺盛なのはいいことだけど、もう蛇と戦うのはよした方がいいよ。
にゃんにゃんにゃんの祭典にでも行ってるんだろうか。だったらそろそろ帰ってきて楽しい話を聞かせてよ。
もしかすると、長いかくれんぼでもしているつもりなんだろうか。そしたら次の週末あたり、見つけに帰らなくちゃね。
まだ雪が降る寒い日が続くよ。
みんな心配してる。早く帰っておいで。
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