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花を花のまま愛するということ

たとえば、焼肉食べ放題に行きます。元を取るつもりで食べると、大抵苦しくなります。これは焼肉を享受しているわけではなく、食べ放題を消費しています。

たとえば、お酒を呑むとします。人と仲良くなるために呑むと、たのしいです。これはお酒そのものを味わっているわけではなく、お酒の席を消費しています。

たとえば、iPhone15を買うとします。携帯が新しくなると、うれしいです。これはiPhone15の機能に惚れ惚れしているわけではなく、新モデルを消費しています。

あらゆる娯楽がある今、日々なにかを消費して生きる。

これは悪でもなんでもなく、ごく自然なことで、喜ばしいことです。

生きることに精一杯な世界では、これらの消費活動はほとんど不可能なことだからです。

ウザがられたって、消費を促す広告が多すぎるくらいのほうが、社会としては健康的。選べるものがあるのは幸せなことです。


ただ、それと同時に消費以外の退屈しのぎの方法が隠されたり、ムダなものであるという考えが蔓延している流れは、豊かさから遠のいているとも言えます。

あくまで「選ぶことができるだけだ」という思いを持ちたいのです。


たとえばわたしは音楽がすきです。そのものになんの意味もなくても、ただそこに音楽が流れているだけで幸せな気持ちになります。

葉っぱを見るのがすきです。命を感じるとかではなく、いろんな形があるなと眺めているのがたのしいです。

考えることがすきです。その後の何かになるなどを思わずに、ただ思考をめぐらせている時間がすきです。


人間関係を消費する人も、お酒の席を消費する人も、高級ディナーを消費する人もいます。

ただ、なにかひとつくらいは、そのものだけを愛することをしたい。

わたしは、花を花のまま愛したい。

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