9畳のテラリウム

 なんとかすべり止めの私立に合格した、と思ったら母親にせきたてられてアパートを決め、引っ越しの準備をし、すぐに使いそうな家電と寝具だけ購入して、と、そんなことをしているうちに桜が咲いた。

 ユニットバスでもいいから広さだけは欲しい、と粘って探して借りることができた二階の角部屋は、最寄り駅から歩いて二十分かかった。コンビニは駅の隣に一件しかなく、あこがれの「ちょっとコンビニに行ってくる」をやるためには、ちょっと以上の覚悟と時間を要した。

 なるべくシンプルに、かつ、いつかできるかもしれない彼女を意識して、二つずつ買った百均の食器の無個性さは、まるっきり自分のようだった。なんとなく居心地が悪くて、帰省のたびに実家にある愛用の湯飲みや茶碗を持って帰った。食器棚のテイストはみごとにばらばらになったけれど、少し安心した。

 駅から遠い立地が幸いしたのか不幸だったのか、部屋には本当に仲がよくなった人しか遊びに来なかった。飲み会の後、二十分ぶん歩いて喧噪から離れると、人は心の澱(おり)を夜風にさらしたくなるようで、そんなときに聞けた話は、波打ち際の貝殻や、流木や、破れたビニール、空き缶、角が取れて丸くなったガラスのように部屋に散らばっていた。そういうものは、だいじに集めてガラス瓶に入れておけばよかったのだと、気づいたときにはもう慣れすぎていた。何に? なんだろう。大学に、街に、生活に、人に、自分に。

 慣れるがまま、人混みの中をすりぬけるように、のらりくらり生きていたら、彼女に出会った。初めてのセックスは、思っていたよりグロテスクで、汗まみれで、情けなかった。想像以上に興奮したが、意外と冷静な部分もあった。回数を重ねるうちにお互いの打算や妥協がかいまみえることも増えたが、お互い上手に見て見ぬふりをした。

 彼女のアパートに転がりこむようになるまでにそれほど時間はかからなかった。

 そしてまた、慣れていく。

 けんか、仲直り、セックスのサイクルからセックスが減った。かといって、けんかが減ったわけではなかった。お互いにもやもやを抱えたままセックスをすることが増え、いつの間にか仲直りだけが置き去りにされた。

 彼女から別れ話を切り出されたのは、クリスマスの少し後だった。彼女が(大手企業に内定が決まった)サークルの先輩と急接近していることは噂になっていた。とても自然な流れ、摂理といってもいい。そんなものに、太刀打ちできるはずもない。現にこの別れ話が帰省前を狙った、やっかいごとを年明けまで持ち越さない大掃除スタイルではないか。なのに引き止めてほしそうな態度を隠すこともせず、悪役に徹することもできない彼女の三文芝居に少しだけ苛(いら)立(だ)った。彼女の陶酔と同じくらい、自分の卑屈さが充満した部屋を出た。

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