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30代インドア女子のワンルームエッセイ。

am3:45定期。季節の変わり目だといつものことです。皆さまご機嫌うるわしゅう。

エアコン無しでもいける、サーキュレーターはいるけれど。って感じ。

4時過ぎにパタっと身体の電池が切れて、起きた時には9時過ぎでした。大丈夫でした遅刻はしてません。

眠る前の覚醒タイムとは打って変わって、睡眠時間足らないまま、ねぼすけで仕事をするので作業がなかなか進みません。申し訳がなさすぎる。案の定、残業してしまった。季節の変わり目の判断力低下、あと秋は低気圧が特に暴れん坊で、、、台風もちょこちょこやってくるし、、、

こんな悩みを持つ人、他にも居ないだろうか……遠藤は何年もこんな感じなので、「いつものアレか」って感じで慣れてしまいました。「スッキリ目覚めるのなんて1年に数日あれば良い方でしょ」と元職場の上司に言われたことがあり、とても救われた覚えがあります。

そして仕事で慌てている時ほど、痩せる気がする。

退勤して、ストックかごからKALDIの味噌カルボナーラを使って料理。もはや料理と呼べるか怪しいライン、、、混ぜただけです。良いんです、変に火を使うと判断力低下してる時には危険だから。稲庭うどんをレンチンしてレトルト混ぜただけだけど、めちゃくちゃ美味しかった!オススメです。

卵も肉も切らして、冷凍野菜も牛乳もパックごはんも、もうすぐ無くなる。買い物に行くか悩んでいます。人と対面で話さなくても別に何とも思わなくなって久しい。これが、もう少し寂しんぼうだったら、よく外に出かけたんだろうけど。

今はまぁ大丈夫か、タンパク質はプロテインで摂ろうっと。

食品とか日用品とか、消耗品にばかりお金を使っていて、なんか不毛だなと思ったので、ちょっと買い物してみる。

若干、耐久性に心配な部分はあるけど、買ってみたiPadケース。スマホケースはたくさんあるのに、パソコンケースもいくつか持ってるのに、iPadケースだけボロボロだな、、、と思って。本体はまだまだ現役っぽいし、大事に使いたいなぁ。

今日はもうボロボロですわよ。目の前のワゴンの中の、シールとか絵の具とかスケブを眺めながら「金銀財宝だなぁ」と思い始めたあたりからもう思考がだいぶ来てる。まぁそりゃあ、お金出して買ってるんだけど、今どきの小学生でももう少し判別がつきそうなものじゃない??

でも、感覚はそのまま、「宝の山」って思考でワゴン見てる。

思えば、お金をかけるところが中高校生から変わってない。本、服、文房具。今日、職場の人とチャットしてたんだけど、旅行好きの人ってほんと隙あらば旅立つんだね。めちゃくちゃ楽しそうに語ってくれる。

わたしも、旅行はチラホラしたことはあるんだけど、、、そんなに頻繁には思い出さないんだよなぁ。
いつか世界一周旅行行ってみたいってnoteのプロフにも書いてるんですが、旅行好きの人と話してると「果たしてここまでの熱量で行きたいと言えるだろうか…??」とふと疑問をもつ。コロナの数年間で世界と隔たった中で、「あれ?意外と何とでもなるな」って感じちゃったんだよなぁ。なんで世界旅行いきたいかって理由はハッキリあるし、覚えてるんだけど、そのきっかけは価値観を示し渡されたことだった気がする。わたしは果たして、今でも本気で行きたいと思っているんだろうか??

価値観のアップデートが、どんどん自分の中で行われていて、ちょっとシニアさやえんどうがついていけてないし、ミドルも混乱してる。リトルだけが「そうなんだねー!」って、けものフレンズのサーバルちゃんばりの肯定感を持ってて、こんな時にも心の中の三世代は三者三様だ。

過去の自分と、今の自分と、未来の自分の考えることがこんなにコロコロ変わる人生になるとは思いもよらなかった。もっと初志貫徹する自分で、芯が通っていて、ある意味とっても頑固なのだろうと思っていた。こんなに柔らかく、ふわふわとマシュマロのような甘さと穏やかさで漂う自我に、真綿で苦しめられるとは思ってなかった。本当に行きたいと思っていた時期もあった。それは事実。でも、今そんなに「自分が世界にいくこと」に、興味そそられないのも事実。人の体験話を聞くだけで、写真を見るだけで、充分楽しいしな。

思っちゃったもんは仕方ない。無いものには出来ない。メタモルフォーゼか、イノベーションか。時に流されるまま、その浮き輪もいつまで空気が入っているかわからないまま、ぷかぷかと水流に乗っている感覚。どこに流れ着くのかしら。それとも、感覚ではそう思っていても、実は床の上でボーッと動かない天井を見上げているだけなのかしら。わからん。

自分は変わらないと思っていた部分が時と共に変わって。自分は昔と変わったなぁ、と思ってたら実は変わってなくて。俺があいつであいつが俺で。みたいな。ははっ

どれがわたしだったんだろう??何かを渡して、それが返ってきた。何かを受け取って、それを返した。どの地点から、何から、わたしはわたしを渡すようになったんだろう。世界一周の約束から?それとも、もっと前から??

残ったのは、借り物で体験した時間の感覚と、本当に自分のものだった??と疑いたくなる昔の思い出。

ひとりではなかった、ということの証左。

ポケスペで、レッドとグリーンが自分たちのポケモンが丸っと交換になっちゃって、色々あって戻ってきたポケモンはすっかり性格が変わっちゃってて、、、って話があって。何巻だったかなあれ。最初の方の真斗さんの絵なのは覚えてんだけどな。

当時は面白く読んだけど、実際「価値観のトレード」をしてしばらく経っちゃうと何だか分からないもんですね。忘れっぽいだけ?のめり込んじゃうだけ?影響されやすすぎるだけ?信じすぎるだけ?利用されてたのかもしれない?

はい、そうっすね。

そう思えば、何もかも、借り物なのかしら。じゃあ大切にしなきゃね。という気持ちもあるし。

こんなに思考をこねくり回さなくたって、「やる!」「やらない!」でスパッと決めて、「実行したことだけを語る」かっこいい在り方を綴ってみたかったもんだ。コタツ記事ならぬ「ワンルームエッセイ」。ベッドルームアーティストみたいなかっこいい存在もいるけれど、わたしは果たして何をしたかったんだっけ?、、、

ごちゃごちゃしてきたので、早めにちゃんと寝ます。睡眠不足を解消するのが先だ。

今日はこのあたりで。

遠藤さやえんどうでした。
お読みいただき、ありがとうございました。

それでは。

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