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『Night And Day ~ジャズ研 恋物語~ 7』

 ジャズ研は夏に毎年恒例で合宿を行う。山中湖の湖畔にあるサウンドヴィレッジというスタジオ併設のコテージが何棟も立っている場所で、近年はそこばかりを使っていた。去年の夏からもう一年か…と俺は感慨にふける。
 コテージの1Fはスタジオになっていて、部屋割りされた各々が楽器を置いている。一通り荷物が片付いたところで、F年の吾郎さんが「酒の買い出し行ってくるぞ~」と言う。テナーのE年の遠山先輩も「吾郎さん俺付き合うっす」と銀縁眼鏡をくいっと上げた。この部活は下級生だからといってこき使わない。誰もが平等なのが、僕は気に入っていた。
 「買い物ですか! 行きます行きます~」と元気な声が聞こえる。この春からジャズ研の仲間になったバリサクのD年、柳原玲奈だ。「玲奈ちゃん来てくれると、おっさん嬉しい」と吾郎さんも遠山さんもニッコリしている。
 「自主的な買い出し、実に助かる! それこそ我がMJGの気風。運転には気を付けて!」とどこからか現れたブラウス姿の透明っぷりが増した桜子さんが偉そうに仁王立ちしている。まぁ、この春から部長になったことだし、サマになっていた。
 
 合宿とはいっても、内容はユルユルだ。好きな時間に起きて、基本的に自主練、やりたい奴同士が声を掛け合ってセッション、浴びるほど酒を呑む。毎日がその繰り返しだ。
 俺がいつものようにロングトーンを吹いていると、同期の菊田がピアノに座った。「なあ篠崎、ちょっと付き合ってくんね?」と珍しくお願いしてきた。「どしたん?」と言うと、
「今オリジナルをいくつか作っててさ、この合宿で仕上げて秋の学祭で演りたいんだ」と。
 普段飄々としてあまり練習する素振りを見せない菊田だが、いろいろ彼の中では考えていたみたいだ。俺は「すげーな、オリジナルか!」と食いついた。「テーマ譜は出来てるから、吹いてみて欲しいんだよ。あ、C譜だけど大丈夫?」「手数が少なければ、何とか脳内変換できると思う。つーか、一度弾いてくれたら覚えるよ」「了解」
 そんなこんなで、初日早々から菊田のオリジナル作りの協力が始まった。あたりはすっかり暗くなっていた。

 メインのコテージのスタジオに全員が揃う。今さらながらジャズ研ってこんなにメンバーいたのか。
 「そいじゃ諸君、買い出し担当の吾郎さん遠山さん玲奈ちゃんに感謝を込めつつ、ありがたく今日の一杯いただくぜ。全員、フタ開け!」
 桜子さんの謎の仕切りで、あちこちから缶のフタが開く音が聞こえる。
 「今日も一日、お疲れさん!」「お疲れさまでしたー!」こういう唱和ですらテンポが合うのはさすが音楽部といったところか。僕は手にした缶ビールを煽る。うん、旨い。
 そこから先は、場所は日向屋ではないものの、いつもの平和なMJGだ。みんなマイペースに酒を呑みながら、時々議論が白熱してピアノやギターを弾いて検証してみたり、と。桜子さんの周囲には相変わらず人の輪が出来て、楽しそうに酒を呑んでいる。
 「よう、篠崎!」
 ふいに声を掛けられた。テナーの遠山先輩だ。細面の顔に銀縁眼鏡がキラリと光る。
 「合宿の幹事、お疲れさん」とビール缶を俺の缶にぶつける。
 「旅行会社の人が頑張ってくれたんで、あんまり仕事した気はしないんですけどね」
 「それでもいいのさ。誰かに頑張ってもらえるのも、才能のひとつだ」
 へへっと笑って遠山さんがビール缶を傾けた。MJGに入った当初はレンタル楽器を使っていたが、自分の得物が欲しくなった。その買い物に二つ返事で付き合ってくれたのが遠山さんだ。二人して御茶ノ水の街をうろうろしながら、あちこちの店で試奏したのも、今となっては良い思い出だ。
 「楽器の調子、どう?」遠山さんが聞いてくる。
 「バッチリです。まだジャジャ馬というか、扱い切れてない部分もありますけど」
 「個性的な楽器って、そーゆーモンよ。たくさんデートするしか、仲良くなる道はないからなぁ」
 「はい、ここんとこ毎日デートしてますから」と言うと、遠山さんが笑った。
 遠山さんの楽器はセルマー。ムラのないザ・優等生といったサウンドが、遠山さんのソツのないプレイスタイルにぴったりだ。そういえばこうして話すのも久しぶりだ。
 「遠山さん、スタジオ来てくださいよ~。一緒に練習しましょう!」
 「俺はバイトが忙しくてな。行けりゃ行きたいんだが、金曜のセッション前ぐらいなら」
 「それでもいいです。いろいろ教えてください」
 俺の言葉に困ったように笑うと、遠山さんは「なるべく行ける時には顔を出すようにするよ」と言葉を濁した。

 スタジオの呑み会は相変わらずのペースだ。既に力尽きて横たわった者も出ている。
 俺はコテージの外のベンチに腰掛けて、マルボロメンソールライトに火を付けた。ふうっ、と吐き出す煙が、満天の夜空に溶けていく。
 程なくして、ぼんやりと桜子さんが現れた。俺の隣に座ると、セブンスターに火を付けた。
 「あー、疲れたわ」と桜子さん。
 「そりゃあそうでしょう。今日は練習出来ましたか?」
 「全・然」と深く息を吐いた。
 ひょっとして、もしかして、これはチャンスかも知れない。俺は心を決めた。
 「藤川さん、タバコ吸い終わったら、聞いてほしい話があるんですけど」
 桜子さんは怪訝そうな顔をして、「難しいのはいやだぞ」と答えた。僕はつい微笑んだ。
 タバコを吸い終わると、桜子さんは言った。
 「で、どんな話なんだ? 手短に言え」
 俺は笑顔で、ただ「藤川先輩のことが好きです。俺と、付き合ってくれませんか」とストレートに言った。
 桜子さんはきょとんとした顔をして、しばらく黙っていた。そして、「なぁ、いま、あたし告白された?」と真顔のまま聞いてきた。本当にかわいいひとだ。
 「はい、しましたよ。俺の彼女になってください」と俺は笑顔で言葉を続けた。
 「あーあー、そういうの、よくわかんねぇんだけど、あたしどうすりゃいい!?」
 急にモジモジしはじめた桜子さんの頭に、そっと右掌を乗せる。
 「はい、って言ってくれればいいんです。それだけで幸せになれます」
 俺の発言も大概だと後になっては思うが、この時はこれがベストだと思った。
 「好きになれるかな…篠崎のこと。ちゃんと彼女やれるかな?」
 不安そうに俯く彼女に、僕は言った。
 「大丈夫。きっと桜子さんは俺のこと好きになってくれます。今でも好きでしょ? 僕は桜子さんのこと、ずっと大好きでしたから」
 スタジオで姿を見かけるたびに練習の相手をしてもらっていた。嫌な顔をされる日もあったが俺は挫けなかった。やがてふたりのサウンドが似てきたことも、彼女は知っているはずだ。そう。俺は藤川桜子の一番弟子なのだ。
 「あ、ありがとう…頑張ってみるよ」
 か細い声で彼女がそう呟く。俺は、深いため息の後に笑って伝えた。
 「いっしょに、がんばりましょうね。桜子さん」
 その言葉に俺を見上げた桜子さんは、今まで見たどんな桜子さんより可愛かった。俺はその唇に、そっとキスをした。これが、俺たちのはじまりの瞬間だった。

 「遅ぇぞ藤川。あれ、顔赤くね?」
 スタジオに戻ると、すっかり出来上がった吾郎さんが待っていた。
 「…呑みすぎかも。先に寝るです」と桜子さん。
 「呑みすぎなんて珍しいな。ザルだと思ってたのに」と吾郎さん。
 「まあ部長職で気が張ってたんじゃないですか」と遠山さん。
 ごめんなさい、どっちも違うと思います。俺はそうは言えずにコテージ2Fの寝室に、小さくガッツポーズを決めながら向かった。今夜はいい夢が見られそうだ。

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