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人魚の涙 23

 船尾スターン側に腰掛けて、背面から入った。
 冷たい水流がウエットスーツのなかに潜り込んでくる。
 隙間に差し込まれた冷水が全身に廻りきると、逆に温かさを感じる。
 大丈夫、まだ耐えられる水温だ。水音がして神門さんが水中に入って来た。予め決めた通り、彼がルートをハンドサインで示しながら潜っていく。
 横槍から重圧が掛かっている。
 説明は受けたが、海流がはやい。
 その海流に対して、斜めに斬り込むように泳いでやっと直進できる。横殴りの突風のような海流だと思った。

「亜瀬のポイントだって」
 潮焼けした顎を指先でつまみながら彼は苦笑いをした。
「・・まだ分からんよ。何度か探してみちゃいるが。あそこは上も下も流れが強くてよ。水深だって深い。普通なら近づかん場所よ」
 その場所は雄賀島と雌賀島に横渡る狭い海峡の最深部に当たる。潮流というよりも河川の急流に近いのかもしれない。
「ただなあ、そこって地場の漁師は龍の祠と言い伝えてな」と悪戯小僧にも似た眼を見開いてこう言った。
「何でも松浦党の隠し財産を沈めているとよ」
「隠し財産・・」
「本当かどうかは分からん。上級ライセンスでないと潜れない深度に隠しても、そうそう回収出来るもんでもない。でもだからこそ、じゃ。存在するのを知っていても手が出せない場所というもんでもある」
 松浦党はこの男女諸島から平戸沖を根城にした、海賊集団だった。
 多島海域に跋扈した松浦党に、武士団としての統制などはない。元来が48氏族の小集団を、ひと纏めに括った呼称に過ぎない。普段の彼らは、穏便に海運や貿易を営んでいる。
 ただ一度戦乱あらば傭兵として何かの陣に招かれる。
 雇用主が敵対している場合もある。
 平清盛の傘下で日宋貿易に携わっておきながら、壇ノ浦の源平合戦では源氏方にくみしている。
 そうやってしたたかに海を戦さ場と定めていた人々だった。
 その戦歴を見ても戦さの趨勢を読んで、有利な方へ簡単に寝返る。
 海洋民族の気風というのか、つまり潮目を読むのに敏であり、一族の身の処し方には極めて柔軟だともいえる。
 ただその変わり身の早さ、節操の無さを、嘲る意味合いが松浦党という言葉に練り込まれている。
「あの平戸松浦氏もな、元はこの諸島からで。いわばここが聖地な訳や。軍資金というよりも、海龍様への寄進かもしれん。それが龍の祠としてあるのなら、信じるぞ、そりゃ」
 私はひとつ提案をしていた。
 そのポイントは、実は伝説よりも浅瀬の方にあるのではないか、と。

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