二気筒と眠る 1
かつて旅をしていた。
ちょっとは大ぶりのシートバッグ。
それにMDとカメラだけが貴重品。
下着の替えも3セットだけ、メイク道具もポーチひとつにまとめた。小さいパッキングは正義だと思う。
天井は大空一杯、部屋は山の稜線まで、視界の全てを自分の家に見立てた野宿旅をしていた。それでいてベッドは狭い寝袋ひとつなのが、笑えてしまう。
女の子独りで大丈夫?と、温いビールをくれたキャンパーも居たけど。その都度、貴方にも警戒しているのよ、と膝に置いたナップサックを掻き抱いていた。
相棒にしていたのは、ホンダの古い2気筒の空冷。
キャブ仕様なので、秋冬は長めの暖機運転が必須。
一番好きな季節は晩秋。
テントを立てているときに冷えていくエンジンから、ピン、ピンっと硬質の金属音がしているときに旅愁を感じる。
初冬の冷気が山麓を包んでいる。
生活している都会ではまだ晩秋なのに、ここでは季節が先回りをしている。まずは深煎りの珈琲をドリップして、指先と身体の芯を温めないと。
折り畳み式の焚き火台に固形燃料を置いて、サンドメーカーを温めておく。それでコンビニで買ってきたサンドウィッチを、ホットサンドに焼く。次にバーナーで湯を沸かして顆粒のコンソメスープ。
簡素な朝食なんだけど、それで豊かな気分になれる。
鳥の声が飛び交うなかで、マグカップのスープを掻きまわしている。
夜露を払ってテントを収納していると、生憎の小雨になっている。
たちまちキャリアに小山のように道具が積み上がった。
この山ではPHSは圏外なので、彼の電話も繋がらない。
電波を拾える場所に戻れば、伝言履歴が来ているかもしれない。心配なのかもしれないけど、二輪の免許も取らないし、私のケツにも乗ろうとはしないのがいけないのよ。
レインスーツを着て走り出すと、雨脚が強くなった。
今週は無理を言ってツーリングにでたけれど、来週は明けておかないと拗ねるわね。ヘルメットの中で、自然と唇が笑みの形になっている。
水滴の壁のなかを、タンクに覆いかぶさるような姿勢で駆け抜ける。
でも気持ちは熱いままだ。
厚底のブーツの横に二気筒が、リズミカルに吠えている。
その頃の写真をふいに見返すことがある。
当時の彼はもう想い出の向こうになった。
バイクだけはカバーをかけて置いている。
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