餓 王 化身篇 4-3
死地に堕ちている、という。
スンタヌという年端もいかぬ沙門の言だ。
腹立たしくもあるが、言動を見るに高位のバラモンであろう。或いは余程の血筋があるのやもしれぬ。
「その死地とやらに陥っているというのは、貴僧の方ではないかな。その頭蓋を砕くのに数瞬とかからぬ」
「その身体、シアタ殿の調整ですな」
「だと聞いておる」
「シアタ殿も無茶をなさる。彼はひとの身の補完ではなく、異種融合を主と為さる。貴官のその身体は人間より蛇に向かっております。いずれその手足さえも抜け落ちるでしょう」
「それは困るな。武器が牙だけでは足りぬ」
脳裏にはあの豊かな銀髪と乳房を持った、白蛇の横顔が浮かんだ。両眼が頭骨の横についた横顔、正面からは静止に耐えないその白蛇を美しいと惑ったことすらある。
さらにシアタと僧主アーシタとの言にも、いずれ四肢が抜け落ちるとあった。
「その蛇のシャリーラは細胞炸裂に働き、自切したその左腕の再生を始めています。それで貴官は喰欲に歯止めが効いた。コロワとサルヨの血肉を欲さなかったのは、そういうことです。脳を侵蝕する前に中和する・・・毒抜きというと理解が早いかも知れませぬ。このままではいずれ喰欲と性欲に溺れる悪鬼羅刹になりましょう。拙僧であればその処置を行えまする」
抒を親指に引っ掛けて、自らの左肩を掌で触ってみた。先刻とは違い肉芽がそこに生じていた。しかも骨らしき塊さえ頭を出してきた。
「では出口に参ろうか、その中和とやらはそれからだ」
月が出ていた。
蒼い月光は周囲を濡らすように銀色に輝かせた。その滝壺のように降り注ぐ、凍えた光の渦に眼が眩んだ。
清冽な大気が肌に突き刺すようだ。
怪物の羊腸の如き入り組んだ通路を抜けて、ようやく屋外に出たのだ。通路を抜けると、僧形の群れがいた。
スンタヌの顔を見て安堵した声よりも、私の異形に慄く声の方が強かった。それをスンタヌは右手を挙げ、パーリ語で制した。
通路の両側で、指先を揃えて屹立する僧袈裟の列を睨みながら、その通路を歩んだ。この顔を見て胴震いをしている年嵩の僧もいるので、若年ながらスンタヌの胆力は非凡なものであろう。
僧形の群衆は、口々にスンタヌの名を縋るように連呼していた。
彼方が朝焼けのような光に包まれていた。恐慌に陥った群衆は、背後のそれとうら若い聖職者の顔を交互に見ていた。
そこは勤行を行なう大堂院に見えた。
乳房が隆起しているような半球形の屋根が、赤光に黒々と切り取られている。私の記憶にある限り最大級の大堂院であった。
「あれは一体、何だ」
「大聖堂にプシュパカ級の小型発動機を据えて、電力をこの都市に供給していたのです。その循環冷却機が緊急停止し、過電流のために制御不能になってます」
「ほう、難しい言葉を使うが。冷却機の検分に、貴僧があの奈落の底に潜られたわけか」
「既に圧縮暴走が始まっています。冷却水が破断した今、復旧は出来ませぬ。貴官の身体調整においても難しくなりました」
スンタヌは顔を覆いながら、逍遥として周囲を宥めている。パーリ語で命じると群衆は散り散りに駈けていった。蜘蛛の子が風に乗るように。
「では、あれを止めればその処置が施せるのだな」
それは嘘であった。
「その暴走の原因とやらをつくったのは、恐らくこの儂よ」
びくりと彼の背が波打った。その背の温度が一瞬のうちに冷えていた。怖気がそこに走っているのは明白である。それでいい。事態はよく判らないが、利用はさせて頂く、従順に私に道をつけるがいい。
大堂院の周囲は、凄まじい鳴動が続いていた。
花崗岩の石板を積み火山灰で塗り固めた、円弧堂の半分は既に大穴が穿たれていた。高熱を伴う圧力が石を崩し、その噴流となって天を焦がしている。
巨石であれ、焼き固められた煉瓦であれ、それが融解していた。氷河が春に無抵抗であるかのように、それは高熱の雫となって、更なる火災を誘発していた。