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餓 王 化身篇 2-1

 覚醒したときに自身が信じられなかった。
 しかし目覚めた。
 そのことは私を暗澹あんたんたる思いで噛み締めた。苦い鉄の味がした。生あるとて処刑を待つ命であることは明白である。 耐え難い苦痛を伴う生にいかほどの価値があるだろうか。
 虜囚りょしゅうの価値は敵方には存在するのだ。復讐は頂点に達した民の怒りを、たとえ一時的にも鎮撫ちんぶすることができる。より残酷な刑であればあるほど有効な政治手法なのだ。 その想像は私の脳裏を占め、肌を粟立たせた。
  ハヌマンは、私の軍はどうなっただろうか。
  竜に飲み込まれ、食い散らかされたのであろうか。
  あるいはこのように全裸で両手足を大の字に開かれ、岩肌に打ち捨てられているのだろうか。眼球が零れそうなくらいに視線を下げ、傷を負ってないかを確認したが、擦過傷が僅かにある程度だ。さらに全身に様々な色の管が刺さっている。そして得体の知れない液体が注入されている。
 四肢に力を込めてみた。あちこちから激痛という応答を得たが、しかし身体は微動だにしない。ただ仰臥ぎょうがしているのみである。痛む場所が多すぎて、拘束を受けているのかさえも判らなかった。
 全身が火照っていた。
 自由になるのは瞼のみであり、呼吸のみである。
 薄暗がりの石造りの牢である。壁の高い位置に明り取りの窓がある。目を凝らすと人間が通り抜けられないほどに、天地の幅が狭い窓だ。
  ふいにひとの気配がした。
  かんぬきが抜かれる耳障りな音がする。青銅の鋳物であろうか。私も厳重な牢に迎え入れられたものだ。
  穴をくぐるようにして、僧形の男たちが二人入ってきた。
  ひとりは壮年風の男で、きちんと剃髪し皺の刻まれた四角い顎をもっていた。麻の僧衣を肩重ねにまとい、錫杖棍しゃくじょうこんを小脇に挟んでいた。  
 もうひとりは更に小柄な、皺だらけの古老に近い男だった。 半裸の上半身に聖紐をかけ、腰布のみという微服をまとっていた。
 筋ばって、干物のように萎んだ肉体は、半ばは死んでいるように見えた。 剃髪した頭頂には血膿のような斑点がめだつ。皮膚はかさかさと水気がなく、疱瘡のようなかさぶたが幾重にも重なって、皺がさらに深く這っているように見えた。
 だが高齢を跳ねつけて、双眸は生力プラーナに満ちている。 藍の瞳に沈むけいとした底光りは、深遠なる大河の淵で竜の鱗が光っているようであった。   
 ドラヴィダ人の聖職者バラモンである。
 無論、微服の古老の方が高位にあたる。
 私は瞼をあけて、凝視した。
 交互に、彼らを睨みつけた。
 ふっと壮年の僧が笑みをこぼした。
 「気がついている」
 アッカド語で壮年の僧が話している。私に理解させたくない会話をしているのは明白だ。その言を呑み込めない顔を装った。
 アッカド語の起源はバビロニアに発する、我々の言葉と同祖のものではある。 だが古ヴェーダの叙述に使われているのみで、詠唱はできても会話として使うことは滅多にない。
 教養のあるアーリア人ならば完全に理解できるが、残念だが私には片言でしか理解できない。しかし充分な内容を得た。
 「どうだ、シアタ」
「まだ判りませぬな。僧主アーシタ」
 「月が満ちるのを待つ」
 僧主がそう呟いて、二人は立ち去った。
 霧が一陣の風に吹き流されたかのような、幻のような姿であった。

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