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長崎異聞 27 I 一陣の風のように

 敵は四人。
 その辻に雪隠せっちん詰めになっている。
 その四人は、墨の如くに漆黒の官支給の軍服に、長刀だけをいている。銃砲の所持はないようだ。
 橘醍醐は和装ではあるが、革靴だけは履いている。
 彼が袴を身に着けるのは理由がある。袴では、膝の所在が相手にはよみ難い。つまり間合いが図り切れぬ。この四人は安穏とした顔で、醍醐の間合いに入ろうとしている。
 虎の顎に首をかざすような無謀な行為だ。
 醍醐は唇に笑みを浮かべている。
「何か可笑しいか」と賊は問うた。
「何もかもじゃ。こうして多数をたのめば何とかなるとか。儂も易く見られたものよ」
 賊のなかに緊張が走る。
 その目線が、集中する。
 つまりその男が主魁ということだ。
 戦さ場にも喧嘩にも長けては居らぬ。
 その男は見たところ不惑の年齢に達していそうだが、鼻下に蓄えた髭には白髪がない。切れ長の目尻は整ってはいるが、神経質に瞼を震わせている。そして帽子の被り方が宜しくない。そんなに斜めに被る軍人は居ない。
 つまりは軍人を騙る輩である。
 旗本どころか、士分でもない。
 醍醐はついと靴先を彼に向けた。
 ひ、と小声で零し、彼は長刀を抜いて、青眼に構えた。
 それは威嚇であり恫喝であり、従来はそれが通用する相手に恵まれてきたのであろう。それが僥倖であったというのは、今に判る。
「いつでもいいぜ」と醍醐は嘯いた。
 しかし彼の眼は、賊頭の長刀に向いている。
 長刀を抜けば間合いが判る。
 しかもその剣の鍛えも判る。
「慶喜公のご威光でこの國は成り立って居る。その衣服を纏うなら士分の道理を身につけねばならぬ。まがい物は許されるものではない」
 醍醐は涼やかな声で言い放った。
 彼は、小刻みに揺れる剣の刃紋を睨み、刀身の厚みを図り、刀工の腕を読んでいる。臆している賊の剣などは歯牙にもかけぬ。
 すっ、と醍醐の膝が動く。
 一陣の剣尖が大気を裂く。
 彼の居合が旋風となって、賊の長刀を叩き折った。欠損した半刀がくるくると宙を舞って、背後に斜めに突きたつ。
 それで怯んだ背後の男が一歩を退く。退きながらも彼は、目前に迫る醍醐の同田貫の鞘を見るのだ。その鞘先で額を砕かれて、そのまま背後に飛んでいく。
 数瞬で同田貫は自らの鞘に収まり、醍醐が二人に笑みを送る。軽く身動みじろぎをした程度に、彼の間合いは一歩とて動かない。残る賊らは算を乱して。哀泣しながら去っていく。
「貴公、お主は奉行所に来て貰うぞ。全てをお上に申開きするのだ。道すがらに、手柄が落ちているものよ」
 賊頭は折れた剣の柄を指先が白くなるほど握りしめ、地面にへたり込んだ上に、しかも失禁している。
 刀身の心金に、どれほどの重ねを鍛造つかで値打ちは変わる。その重ねの筋目を読めば、彼の剛刀では容易なことだ。
「紛い物はすぐに折れるし、曲がる」
 儂の同田貫とはまるで格が違う、と醍醐は思った。
 
 

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