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亡霊

 昨年に見た夢なのですが、今日にお話しようと思います。
 例によって私の夢はとてもリアルで、映画のようです。以下は全くの夢語りですので、ご堪忍下さいませ。

 私が学習院大学に通っている頃、それは浩宮さまとご同窓という栄誉に預かった日々でもありました。当時の浩宮さま、後の令和天皇陛下とお言葉を交わす間柄になった私は、お盆に御所で大学課題のレポートを書くことになりました。
 当時は継宮皇太子殿下と呼ばれた後の平成天皇陛下から、柔和な笑顔で自ら迎えて頂き、喉を枯らすほど緊張したものです。

 レポートには思いの他、時間がかかり継宮皇太子殿下、並びに浩宮さまと夕食の席まで囲むことになりました。その席で、お盆という事もあり、継宮皇太子殿下は若かりし時のお話をなさいました。

 御所には、あちこちになにか霊気というか、濃密な人の気配が漂う場所でもありました。そこには誰もいないのに、中空に視線が絡まり、吐息が闇に溶けているようでありました。
 継宮皇太子殿下は、父の執務室に向かったところ、開け放った扉の向こうに窓に向かった昭和天皇陛下の姿を目にしました。その後ろ姿に声を掛けようとした時、その扉の戸口にどうしても近づけないものを感じました。
 その戸口だけ、空気は冷めて、重いのです。
 戸口にさす影に、掌で触れそうなほどの重さがあるのです。
 父はその空気を感じ取っているようでした。
 背後を見ることなく、父はその空間に「阿南か」と誰何しました。
 肩が動き、右手で顎をつまむ仕草が見え、何かを思索している様子です。そうして「感謝する」と父は低く言い、不意にその空気が霧散したのです。
 阿南陸軍大臣は昭和20年8月15日に割腹自決しました。
 彼は226事件の時は陸軍幼年学校で、決起した陸軍士官を激しく批判していました。日本史上の人物を挙げて、侍の道を説いていました。 
 この日、大東亜戦争での進退の処置に自決を選んだ閣僚は、彼だけです。
 彼の割腹自決によって、大東亜戦争の終戦宣言を阻止しようとした青年将校のクーデターは未遂に終わったとのことです。
 それがお盆という想い出だよ、と継宮皇太子殿下は微笑んでいたのです。

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