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夜を疾走する

 もう10年も昔のことだ。
 初めて横須賀を訪問した。
 その街の何所かに、縁遠くなった女性がいた。
 当時は互いに音信不通になっていて、何処でなにをしているのかはわからない。わかっていたのは、彼女は苗字が変わり、さらにシングルになって二人の子供を育てているということだった。
 横須賀の町を歩いて気づいたのは、妙にバタ臭い街で、私の郷里である佐世保よりも更に濃度の高さを感じた。路肩の弁当屋さんですら米ドルが使える。あちこちに点在するBurgerShopも、かの国の様相を保っている。
 どこかで喧嘩でも始まりそうな妙な緊張感がある。
 ここで擦れ違いでもしたら奇跡だなと考えていた。
 ああ、この町の空気こそ彼女が纏っていたものだ。



 その数年前で、まだ夫婦仲の良好な頃に連絡を受けた。
 まだ彼女とは年賀状のやり取りがあり、それで我が家の電話番号を教えていた。
「以前の女友達なんだけど、長男が七五三で、実家のあるこちらに来るんだって。ここに訪ねてきたいらしい。そうだな、うちの娘とお見合いでもさせようか」
「それも楽しそうね」
 即座に妻は、緩く微笑んで答えた。
 夫婦の間に、会話がまだ存在した。
 仕事に忙殺されてしばらく、時間が流れていた。
 私の携帯に連絡が入った。先の電話で番号を教えていたからだ。
 だがそれはiモードというSNSの走りのmessageだった。

 ふたりきりで、逢えない?

 ああ。
 そうきたか。
 こんなヒリヒリとした、肌に電流の走るようなことをいう女だった。
 仕事を早めに収めてGarageに置いた愛車のバケットシートに収まり、4点式のハーネスを締め上げて、待ち合わせの場所へ駆けつけた。
 お互いに数年の年月を経ているのに、彼女はあの頃を想起させた。
 いやむしろ。
 白いネイルに白のワンピース。
 蛍光色を浴びると、その布地が怪しく紫色の光沢を跳ね返している。その光沢に彼女の身体の線が透けて見える。
 攻め込み方がより長けてきていた。
 こうした手の内に収まりそうにない部分で、私は委縮してしまい、彼女とは自然消滅していった。鋭利な刃は有用ではあるが、扱いによってはこちらも傷を負う。
 笑顔を弾けさせた彼女を、助手席を開けて出迎えた。
 狭いシートに颯爽と収まって、四点式を苦も無く締める彼女に苦笑する。いつか見た光景が、初めて見るその仕草に交差する。

 今日は、私に何を見せてくれるの?

 彼女にしてみれば口癖のように、ありふれた言葉が錐のように胸に突き刺さる。ズルい。自分の胸の内を明かさず、相手の手札を先に見ようとする。
 その巧緻さに舌を巻きながら、ステアリングを切る。
 奈落の縁を走っているのを自覚しつつ、夜を手繰り寄せる。
 ヘッドライトの光軸の先に、朧げに昏い未来が見えた。

 
 
 
 
 

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