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【エッセイ】かわいい、の呪い

幼馴染の幼少期の容姿が、元モーニング娘。の加護ちゃんにそっくりだと古い写真を見て気付いた。つぶらな瞳と、笑うときゅっと上がる小ぶりな口元。肌も髪も透き通っていてあれは確かに可憐と言える。彼女が大人になった今でもそれは変わらない。

幼馴染に向けられる沢山のかわいいを、肯定も否定もすることなく、ひたすら聞いていないフリをして幼いながらにやり過ごした記憶がある。隣にいる幼馴染が可愛い、可愛いと言われるのは、何も言われていなくても自分が可愛くないと言われているのと同じだった。
実際そこには何の嘘もなかったのだが。

私にとって、「かわいい」は一種の呪いである。わざわざ平仮名でかわいい、と書くのは私なりのこだわりだ。何となく、平仮名の方が可愛いという価値観の持つ異常性や執着心を感じられるからである。ついでに言うと私的に平仮名で書いた方がかわいいのだ。かわいいという言葉は、その文字すらもかわいく在るべきなのである。

かわいいは呪いであり、狂気だ。

毎日私のことを可愛いとしきりに褒めてくれる人とお付き合いをしたことがある。なんとその期間だけ私は、かわいいの呪縛から解き放たれていたのだ。だがそれは、褒められる程に可愛く在ろうとする努力を怠ったということである。髪を染める頻度が減り、化粧は簡略化し、服は彼の部屋に置いてある少数を組み合わせるようになった。
すると当然に鏡からかわいいは消える。そうして怠けた結果、自分が女として枯れていくような感覚を覚えた。こんなに恐ろしさを感じたことはない。自分がまるで女ではなくなってしまった頃、彼もまた枯れて見えるようになった。恋人との距離感を間違えてしまったのだと気がついた時にはもう遅かった。

結局、かわいいという呪縛は私を何度でも引き寄せて逃さないのだ。

SNSが生活の一部となった現代ですから、実は私の他にもかわいいに囚われている人は沢山いるのではありませんか?





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