人間の生活水準はどこまで?資源は有限なのに、欲望は無限。 ~作家売買~
「良い生活がしたい!」ってのは、誰でも一緒。
私も、良い生活がしたいです。
そんじゃ、その良い生活の「良い」ってのは、どこまでですか?
とある一人の老人と会話した時、老人が言いました。
「私が子供の時の数十年前までは喰うや喰わずって人はいた。それが今じゃ、喰いモンがたくさんあるから、それを減らしましょう!ってお国になったんだもんね~。」
って、なんとも言えない嬉しそうな顔に見せかけた、侮蔑するような苦い表情を浮かべていた。
中年の自分は、他人に育った環境を話せば、そこそこ苦労した方の人生らしいけど、喰いモンがなくて死にかけたことはない時代だったな~って感じている。
時間は有限だし、地球の資源も有限だ。
なのに、人間の欲望ってのは無限。
一人の老人は
「今は、喰えるの当たり前。なんなら、喰えるモンを食い散らかしてることさえ、気づかない。
自分が食い散らかした後の始末さえせずに、「良い生活」をしたいってだけ、のたまいあっている。」
良い生活ってのは、なんなんだろうか。
昭和の後半頃なら、20代で都会に就職、30代で家を買い、子育てに奮闘して40代を終え、50代に仕事の終末を考え、60代で定年し、老後に孫と幸せに天寿を全うするってのが、とある昭和後半を生きた方が仰っていた1つの憧れの人生プランだったらしい。
今なら、20代で就職しながら起業して、複業しながら、社会貢献してますってSNSでアピって、30代で結婚して、子育てしながらタワーマンションで、お取り寄せ食材を喰らいながらSNSで家族を彩る……とかでしょうか?
昭和の時代に憧れた、地方の一戸建ては古屋として資産価値を持たず、手入れがされてなければ廃屋と化していたりもする。
昭和に流行ったマンションは、建て替えが効かなければ、ちょっとした大型廃墟になりかけているんでしょうか。
さてはて。
欲望として色んなモンを喰うんだったら、ちゃんと消化して、排せつ処理まで考えられるようにならんと、ただのゴミ製造機になる自分がいるんだなって感じた。
ってな感じで、良い生活に憧れる自分と対話したお話。
さて、どうしよう、うちの古屋とかした物件は。
今日も、誰かに笑われていますように