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好きなことで生きていかない

わたしが就活をしているときは「自分軸」という単語が流行っていた。今もそうなのだろうか。昨今の就活事情には疎くなってしまったが、似たような単語や考え方は残っているのだろうと推測する。

わたしの通っていた大学は、言い方は悪いが、学費さえ払えれば入学できた。いわゆる地方の私立大学で、実態はひどいものだった。当然、中には努力している人もいたのだろうが、大半は勉強することを放棄した人で溢れていたように感じる。

中学高校と大した努力をしてこず、大学に入ってからもアルバイトで小銭を稼いでそれを娯楽にのみ注ぎ込む。そんな人生を歩んできて、どのように「自分軸」や「価値観」が形成されるのだろう? わたしにはイメージがつかなかった。

もちろん、人となりを詳しく知れば、思慮深い面があったり、創作活動に励んでいたり、人知れぬところで努力している人だってたくさんいる。そうやって積み重ねてきた努力を元に、「自分軸」が見つかっているのなら、それは素晴らしいことだと思う。ただそうではなく、就活を機に初めて人生について考えるような学生が、たった数ヶ月頭を悩ませただけで無理矢理出した答えは、果たして軸になるのだろうか。

わたしは就活の時、頭の片隅にはずっと一つの考えがあった。それは、わたしなんかが好きなことを仕事にできるわけがない、ということだ。

過去の経験を深掘りし、「自分軸」を見つけ、どんなことを職にすればやりがいを感じられたり充実感を味わえるか。周りの友人がそんな考えをして就活を進めていく中でわたしは、自分にそんな権利はないと思っていた。たった数ヶ月の就活期間で考え出した価値観を元に人生成形するのは不安だし、そういうことができるのはこれまでの人生かけて軸を見つけてきた人たちだ。経験しながら作り上げてきた「自分軸」と、即席で作った「自分軸」はまるで意味合いが違う。わたしは前者のものを持ち合わせていなかったし、それであればそんなものを頼って就職先を決めることはできない。そう考えた。

ただ唯一、わたしが気づいていたことは、学費が払えなければ、こんな大学にすら自分は入れなかったということだ。そしてその学費はわたしではなく、父が稼いでくれたお金で工面されていた。母のサポートがあって稼ぐことのできたお金だ。わたしは両親に守られたからこそ、大卒として就活ができるというスタートラインに立てていた。

結果としてわたしはより多くのお金を稼げる会社に入社しようと決めた。ただ前提として、長時間労働は無理だし1日7時間は寝たかったので、残業は極力ない会社にした。仕事を通してどんなことを実現したいとかは一切考えなかった。

わたしは今26歳だが、おこがましくも、年収・貯蓄額ともに全世帯平均を上回っている。残業はほとんどない。おかげでわたしは今もまだ、自分の価値観を柔軟に変えながら生き方を決定する権利が残っている。そしてなにより、わたしは愛するものを守るだけのお金がある。両親がそうしてくれたように。

確かYouTuberという職業が世の中に認知され始めた頃、「好きなことで生きていく」みたいなフレーズが流行った。わたしの就活の時もそんなフレーズをよく耳にしたし、それを実現しようとしている学生も多くいた。好きなことを仕事にするのを目指すのは構わない。それこそ好きにしたらいいと思う。ただし、就活以前から努力を続けてきて就きたい職が明確になっている人と、就活を機に「好きなことで生きて」いきたいと躍起になるのとでは、成功率が極端に違ってくるだろう。

就活を終えて大学卒業までの期間、たびたび友人と就職先の話になり、「なんでその会社にしたの」と聞かれることがあった。その度わたしは「残業が少なくて給料がいいからだ」と答えた。だいたい変な空気になって、時には慰めを受けることもあったりした。なんとなく、好きなことで生きていけない人は負け組みたいな風潮があったのだと思う。

好きなことで生きていかなくてはいけないとか、人目を気にせず素の自分を出さなくてはいけないとか、価値観が多様になっているというよりは、より「自由」というイメージに近しいものが賞賛される世の中になっているように思う。それは、本当の多様性ではない。仕事にやりがいを求めなくてもいいし、ただ食い扶持のために働くのだって構わない。人目が気になるなら、新しいことを始めなくてもいい。昔ながらの価値観に縛られてもいい。本当に好きなように生きるために、わたしは好きなことで生きていかないことを決断した。

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