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生きてきた世界が違うってだけ。

先日、とある年配の方とお話ししてて。

その方は女性で、おばあちゃんで、孫がいて、その孫ってのが女の子で、サッカーが大好きでクラブチームに所属しているらしい。毎日遠い練習場にチャリでせっせと通っている、とおばあちゃんは誇らしげに言った。


……と思ったのだけど。


「夢中になれるモノに出会えてお孫さんは幸せですねぇ」

私がこう言うと「そんなことない!」と急に加速して突進してきた闘牛のように鼻息荒くしゃべりはじめた。

女の子がサッカーなんてやるもんじゃない。孫はいつも男みたいな格好をするから男に間違われる。女の子なんだからスカート履いてほしいのに。こんなんじゃお先真っ暗だ。

なでしこジャパンじゃん!超かっこいいじゃん!と私は心の中で盛り上がっていたけれど、それを表には出さなかった。出したら会話がヘンにこじれると思ったから。


生きてきた時代の違い。ここを埋めるパテはこの世には存在しないと思っている。

違う時代を生きてきた人間はまったく違う星の生物、ぐらいに思っている。それぐらい全く別の生き物だと感じる場面が本当に多い。とくにここ最近は。

例えば、じいさんばあさんの家には物が溢れかえってて、私に対しても「あれ買ってやる、これ買ってやる」とやたら”物”を所有させたがる。

対して若い世代の人たちはミニマリストが多い印象があって、そういう人たちは物より生活の”質”を重視している気がする。

なぜか。

私の個人的な見解はこうだ。

じいさんばあさんの世代は戦争を経験して貧しさを知っている。だからこそ、物を多く所有することで幸せを感じる時代だった。

一方で今の若い世代は東日本大震災をはじめ多くの自然災害に見舞われてきた世代だ。その経験の中で「物を所有すること」を見直したのではないだろうか。つまり”どんなに物を所有してても意味がない”と気づいた世代だ。

なにより私がそうだ。

東日本大震災を東北で経験したことで物を所有することにあまり意味を見出せなくなった。だって、形あるものは一瞬でなくなるし、なによりまず命が大事じゃん。命があるから幸せなんじゃん。


「昔は畳をホウキで掃き掃除、今はルンバ」みたいな生活様式の変化も影響していると思うけれど、全てにおいてその時代にあった生き方ってのがあって、それが数十年周期で変化するもんだから異なる生き方が混在してわかりあえない世の中になっているのが今なのだ、と思う。

だから、冒頭のおばあちゃんの言い分もわかるっちゃーわかる。女の子はスカート履くもんだし、サッカーもやらないって。


わかるんだけど。


ものすごーーーーーーくモヤモヤする。やっぱりわからないよあたしゃ!笑

ちょっとおばあちゃん!なでしこジャパン知らないの!?嘘でしょ!?

てかさ。

そもそも女=スカート、ってのが古い。別に女だからってスカート履かなきゃいけないワケじゃないし、なんなら男がスカート履いたっていいと思ってる。

化粧だってそうだよ。そんじょそこらの男性のほうが私より化粧上手だから!絶対私よりメイク道具持ってるから今どき男子のほうが!

あ、思い出した。

以前海外のとあるツイートがバズってタイムラインに流れてきたことがあったんだけど、とある女性が子供を出産して、周りの大人に「男の子?女の子?」と聞かれたときに「それはこの子が決めることよ」と言い放った、という内容で。

超かっこいい!あたしゃしびれたよこの海外のママンに!

……っている価値観を私は持っているので、冒頭のおばあちゃんとの会話は宇宙人と会話してる気分で聞いてました。ほえー、そっちの星はそういう星なのねー、って。

誤解を招きそうなのできちんと書くけれど、このおばあちゃん、決して悪い人ではありません。むしろ、めっちゃ優しくて超いい人。

ただ、生きてきた世界が違うってだけ。

たったそれだけのことなのにお互いを否定して、罵り合って、俺が私が!となってしまうのってなんだかもったいない。

生きてきた時代の違いを埋めるパテはこの世に存在しないけれど、互いに歩み寄ることで隙間を紡ぐことができるんじゃないかなぁ。

それには何が必要なのかねぇ。優しさか?


むむむ……。


なんて考え込みながら更けていく月曜の夜。答えが出ない夜もあるさ。

ではまた!

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