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夢見る現代人のおとぎ話『ジョゼと虎と魚たち』

アニメ映画版『ジョゼと虎と魚たち』の感想です。

実は年明け前に観ていたのだけど、ずっと体調が悪かったのもあって(あとはまぁ、鬼滅のコミックス読んだりとか原稿とかしていて……)書きそびれていた。

もうそろそろ終映してしまうところも多そうなので、ギリギリまだ上映しているうちに感想を書いておく。個人的には非常に満足した作品だったので。

ちなみにジョゼ虎の原作は読んでいない。映画を観て原作も読んでみようかと思ったら、近所の図書館には所蔵がなかった。残念。

実写映画も観ていない、が……例の如く、私は気になったらとりあえずあらすじは調べてみるという人間なので、車椅子女子と健常者男子の恋愛話だということは知っていた。

では、以下は大体ネタバレの話なので一応スクロールしてね。でもこの話、正直ネタバレを知ってから観ても抱く感想は大して変わらないと思う。意外性とか全くないので(私はそこも含めてこの作品はこれでいいと思う)。








メキシコに留学して、希少な魚の群れを見に行くことを夢見てダイビングショップでバイトする大学生恒夫君が主人公。

生まれつき足が弱いためにほとんど外出したことがない車椅子の女性、久美子がヒロイン。

ツネオとクミコという名前の違和感がすごいが、原作小説が昭和59年の作品なので当時のセンスとしてはそこまでシワシワネームではない。

が、名前が話に特に絡んでくることはないので(特に恒夫はまったく関係無い)原作そのままの名前ではなくてもよかった気がする……。が、当時としては普通の名前(令和の現在ではやや古風な名前)の久美子=ジョゼのくだりは原作的には重要なポイントだと思うので、久美子はそのままなのに他のキャラは全員変更ともいかなかったのかもしれない。

調べてみたところ、原作にはエロスの要素があるのだが、本作にはそのような描写はなく極めて清潔な関係である。

大筋は原作にならいつつも、かなり現代風にシナリオがアレンジされている。ちなみに、実写版も原作とは違うシナリオにアレンジされているようだ。

何せ原作が古いので、原作をそのままやることは今の時代背景に合わない。ので、原作をアレンジしたのは本作に限って言えば成功だと思う。(実写版のアレンジについては観てはいないので、言及しない)

では原作なしでやれば? という感じになるのかもしれないが、障がい者と大学生の恋というテーマを『ジョゼと虎と魚たち』という作品と完全に切り離せるかというと、そこまで原作が普遍的になってもいないので、その辺の兼ね合いはあるかなーという感じ。

原作をベースにして大きく現代ナイズした「ジョゼ虎」は、小っ恥ずかしいくらいにドストレートな青春グラフィティとなっている。

もう、本当に今時こんなのある? ってくらいにストレートな青春映画。

「子供の時に好きだった魚を、現地の海まで行って群れで泳いでいるのを見たい」

恒夫の夢は、他人にとっては「そのためにそこまでする?」というようなもので。だけどそのためだけに彼は必死にアルバイトをしてお金を貯めるし、メキシコの大学に推薦してもらったら大喜びする。

魚を見たからなんだっていうの、と言われそうだけど、彼はその夢を実現するための努力は惜しまない。だから周りも、彼を決してバカにしない。自分よりはるかに努力している人間の夢を笑うのは、とてもおろかで恥ずかしいことだ。

ジョゼとの出会いは、急な坂道で車椅子が転がり落ちてきたところを恒夫が偶然助けたことから。少女漫画みたいな出会いだがここは原作通りです。

車椅子でしか外出できないジョゼは、危険だからと祖母のチヅに勝手に外出しないようにと言いつけられている。彼女の世界は狭い自宅で閉じていて、そこに入ってきたのが恒夫だった。

「ジョゼの言うことを聞くバイト」をチヅから引き受けて、恒夫が家に出入りするようになった。ジョゼは最初は恒夫に無理難題ばかり押し付ける。それは、外の世界へ出られない自分とは違う、自由に出歩けるし自由に家に来るかどうかも選べる恒夫への当て付けだろう。

だけど、思い切って家出をした時、恒夫が海まで連れて行ってくれたのをきっかけにして、二人はチヅの目を盗んで外にくり出すようになる。

魚の絵を描くのがすきだけど、子供の時以来海をみたことがなかった。海水が本当に塩辛いのかもしらなかったジョゼが、海を見て、いつか「すがれる人ができたら一緒に見に行くと決めていた、怖いもの」である虎を見に行く。図書館で、ジョゼという呼び名の元となったサガンの本を借り、司書の女の子と友達になる。ジョゼの世界が広がっていく。

チヅはそんなジョゼを見て「道頓堀の看板みたいや」と言う。つまり、グリコのあのポーズで走り出しそうということである。

この辺の描き方がとても丁寧で、恒夫にとってのジョゼが、ジョゼにとっての恒夫が「ムカつく奴」から「喜楽を共にする相棒」になっていくのがよくわかる。

だけど、恒夫の留学がほぼ決定し、チヅが亡くなり、二人の関係に終わりが見え始める。

そんな時、恒夫がジョゼを庇って事故に遭い、足を怪我してしまう。留学の話も一度消えて、恒夫の夢が空中分解する。ここはアニメ映画版のオリジナル展開。

恒夫はジョゼを同じ立場になってはじめて、ジョゼに気安く夢を追うことを語った自分の甘さを自覚する。

ジョゼは得意の絵を描いて紙芝居を作り、夢に挫折しそうな恒夫を応援する。

ここでジョゼと恒夫の救済相手がひっくり返る。

ジョゼのはげましで再び歩けるようになるまでリハビリを頑張った恒夫が、再び夢に向かって歩き出したのを見届けて、ジョゼは恒夫の前から姿を消す。ここは恐らく「ジョゼがいるから」と恒夫が留学をやめたりはしないように、彼を引き止めてしまわないように、彼女なりの折り合いをつけた結果だろう。

だけど、恒夫はジョゼを追いかける。夢を追うことを諦めて欲しくないと願った彼女に、恒夫は恋をしていたからだ。人生に必要な人になっていたからだ。

そして再び、ジョゼが車椅子の事故で転げ落ちたところを恒夫が救う。そこで二人はようやく想いが通じ合う。

正直、足を怪我する事故のくだりや、この最後の坂道の二回目の事故などは、シナリオのためのご都合主義であるとは思う。

だけど、この作品においてはご都合主義は良い意味で機能していると思う。

ただ夢を追うために努力をしてきた恒夫を、夢を実現するために一歩踏み出す勇気を得たジョゼを、「そう上手くはいきませんでした」で終わらせるのはちょっと底意地が悪すぎる。

アニメ版ジョゼ虎の登場人物は、徹底して悪人がいない。恋愛的には当て馬になっている後輩ちゃんですら、底意地の悪いところは見せない。

言ってしまえば、この物語は「夢を追いかける人のための現代のおとぎ話」なんだと思う。

この物語は「魚を見たいだけというふわふわとした夢を否定しない」し、「障がいを理由に外の世界を諦めなくていい」し、「一度諦めた夢に再びチャレンジしてもいい」し、「仕事をしながら夢を追い続けてもいい」んですよ。

誰も夢を否定しないし、夢はずっと夢として持ち続けてもいい話だから、それを否定するだけの底意地が悪い人はいなくてもいいんですよ。少なくとも物語にもメッセージにも、そんな人は必要ない。

現実には、もっと夢を見るのは大変なことかもしれないけれど、少なくともこの物語には必要ないんです。

大体、夢や目標をバカにする権利なんて誰にもないし、実際のところ、実現に向けてきちんと努力している人をひたすらバカにする人だってそんなにいないわけですよ。夢見ることが口先だけならバカにされても仕方ないかもしれないけど、この物語においては恒夫もジョゼもそれなりの努力をして目標に向かっているからね。

そういう意味で、この物語は夢を見る人にとってエールになるようなメッセージに満ちているし、ご都合主義的な展開も「この二人にはこうであってほしい」という願望を形にしたようなもので、気持ちがいいご都合主義だなと思いました。

(余談だけども、この作品と同日公開の某映画が、子供向けみたいな雰囲気で「夢を見たら叩かれる」みたいな性悪説にのっとっているのが皮肉ですね。私は子供向けの皮をかぶるんなら、鬼滅ほど教育にいい主人公を作れとはいわないので、せめて性善説にのっとってくれって思いますよ)

音楽と映像も、普通に綺麗で良いと思います。映像お化けな鬼滅をやっている最中なのでインパクトが薄れますが、ダイビングシーンやジョゼの夢想のシーン、海辺ではしゃぐシーンは、劇場で観て損をしない美しさだと思いました。

正直、テレビで実績を積んでご予算を用意しているわけではない、純粋な劇場版の邦画アニメはクオリティがマチマチなイメージがあるのですが、ジョゼ虎はかなり高品質な出来だと思います。

来週には終映していそうだし、緊急事態宣言による時短営業のおかげで平日に観に行って!とも言いづらいのですが、なんとなく気持ちが良く観られる映画がみたいな!という方にはおすすめします!!

せめて先週にレビュー書けばよかったよな!(ホントそれ)

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