イケメンオーラを消した松坂桃李の『あの頃。』
原稿に追われていたらなんか頭がこんがらがってきたので、リセットをしようと思って映画を観てきた。
今回はハロプロオタクの青春ムービー『あの頃。』である。
ハロプロ世代だけど、そこまでアイドルに造詣は深くない。だけど、今泉力哉監督には『his』の時の恩があるので、応援の意味で観に行った。
結果、自分でも意味がわからんポイントで共感して泣いていた。
いや、正直仲間内の胸糞エピソードとかもあるんで万人に絶対におすすめ!とかは言えないんだけども、よくわからない謎の感動はできたので感想は書きます。
以下ネタバレなのでスクロールしてね。
あややこと松浦亜弥や、モーニング娘。などのハロプロアイドルが全盛期だった2004年の大阪。
当時のハロプロ時代というのは、今のAKBとかとは少しちがって「アイドルエンターテイメント」という感じ。芸人みたいなこともやるアイドル、というのかな。
ジャニーズがKinKi KidsやTOKIOでバラエティやバンドなどの別路線を打ち出してきたのと同じように、当時のハロプロというのは何というか、アイドルの転換期みたいなものがあったと思う。
どうしてそんなことを思うかというと、アイドルにもテレビにも全く興味のない私が、モーニング娘。や松浦亜弥の曲は、すぐにメロディや歌詞が出てくるレベルで覚えているから。ど田舎のど辺境に住んでいた私ですらこのレベルで覚えているのだから、こいつはすげえやってヤツなのである。
わかりやすくいうとね、ジャンル的にはアイドルだから今のAKBとかのカテゴリなんですけども、認知度でいうなら米津玄師の『レモン』とか、瑛人の『香水』みたいなもんだったんですよ。
全然興味なかったとしても、レモンの匂いの歌の人、ドルチェアンドガッバーナの香水のせいにする人みたいな認知が謎にある。興味がなくても曲名と歌っている人の名前が一致するくらいに流れてた。
ドラマは松坂桃李演じるツルギくんが、ベースをミスってバンドメンバーから詰られるシーンから始まる。こいつはつらい。バイトしてるヒマがあるなら練習しろ。理不尽の極み。
心が折れた時に、友達がノリで渡した松浦亜弥のMVを見て、ガチで泣いてしまう。
まぁ、普通に考えて『桃色片思い』で泣くのはかなり上級者だと思うのだが、どん底の気持ちになった時に聞いた曲というのは妙に響くものである。私、多分この原作の人と歳めっちゃ近いな!絶対にこの人ロスジェネ世代でしょ!
私の時は地獄のブラック会社にいた頃にラジオで聴いたBUMP OF CHICKENだったけど、この人にとってのどん底這い上がりソングが松浦亜弥だったということ。いや、完全にわかりますね。マジ同世代。働いてるだけマシの世界だった『あの頃』ですよ。この閉塞感を飛ばしてくれるのが曲だったんだね。
ゴロゴロと転がり落ちるようにドルオタになったツルギくん、あややのCDを買いに走ったCD屋の店員にハロプロ好きのトークイベントをやっているんで、とチラシを持たされる。ここが運命の分かれ道。
トークイベントのメンバーと仲良くなったツルギ君、どんどんドルオタ生活にのめり込んでいく。
限界オタクになっていく松坂桃李、マジでイケメンのオーラを完全に封じている。さすが趣味で俳優をやっている本職デュエリストは違う。オタクの魂をわかっておるな。
いやしかし、本当にこの作品、オタクの解像度が高い。
仲間の家にあつまって観賞会をするオタク。
早口で推しについて語り出すオタク。
オタクがすぎて友達や後輩にドン引きされるオタク。
ふと我に返って自分このままでいいのか?と自問自答するオタク。
推しのポスターを破いてしまって放心するオタク。
推しの握手会に当選してひとしきりキョドるオタク。
握手会で何をいうか脳内シミュレートしていたのに実際には2言くらいしかしゃべれないオタク。
推しの曲のカバーバンドを始めるオタク。
せっかくバンドをやならとはりきってユニフォームまで作っちゃうオタク。
いやぁ、オタク解像度が高い!
このドルオタ生活にちょいちょい石を投げ込んでくるのが、コズミン氏。ネット弁慶で、偉そうで、めちゃくちゃ性格が悪い。
いや本当、このコズミン氏、最初から最後まで性格が悪い。仲間の彼女のストーカーに勝手にネットでメンチ切って、仲間を誹謗中傷の的にさせたりする。
しかもその仲間の彼女を口説いて、寝取りしようとする。
トークイベントでツルギ君がファンの子にサインしたことを槍玉にあげたくせに、自分がいざ女を寝取ろうとしたことを追求されたら土下座。
いやもう、このあたりの下りは割とリアルすぎて胸糞だし、それでええんか的な解決法するんで(原作まだ読んでいないんだけど、実話エッセイ系だから実際にこんな感じで決着したんかなこれ)この辺は流せるかどうかは好みが分かれそう。
しかしこのコズミンが最後までブレないので、だんだんアイドルから離れてそれぞれの道を歩み始めるオタク仲間たちの中で、ちょっとだけ特別な存在になっていく。
推しを推し続けることは大変で、だけど今が楽しくないのはダメで、ずっと同じ場所で立ち止まっていればいいというわけでもない。だけど情熱の全てをかけて好きだったものを否定する必要だってない。
コズミンが末期がんになっても、3次元よりもアニメが好きになっても、最後までハロプロオタを貫いていたからこそ、ツルギ君のなかでの『あの頃』が輝くのだろうと思う。
ツルギ君が言う通り、コズミンは本当にどっちかというまでもなく悪い人で、本当にどうしようもないところがたくさんあるんだけど、それでも仲間内で『愛される人』ではあったのは、ブレずに好きなものをずっと好きと言い続けることができたからなのだと思う。
ツルギ君の言う『悪い人』っていうのもね、「いい人から先に死ぬって言うだろ」っていう会話から生まれた認知なんですよね。シチュー作ってくれた時はちょっといい人かと思ったけど、やっぱ悪い人だよ。悪い人なんだから、もっと生きてくれよという細やかな願い。悪い人なんだけど、死んでほしくないんだよ。
ラストで、アニメのフィギュアを持って死んだコズミンのシーンが最後に少し追加されて、実は彼の最後の望みは「推しの曲を聴くこと」だったとわかるんですけど、ここで不覚にも泣いてしまうんですよね。
推し曲を聴きながら死ぬってオタクとして本望すぎる死に方すぎるし、その曲が仲間とカバーバンドで歌った曲なんですもん。
あー。本当にどっちかというとクズだし、仲間に迷惑もかけたのに愛されてはいたの、こういうことだなー。と思う。めちゃくちゃ笑顔で葬式されるの、やっぱり「愛されていた人」ではあるんだよな。
まぁ、本当にクズなんだけど。(主人公のツルギ君も認める重要ポイント)
いや、本当に振り返ってみてもクズなんだけど(泣いてしまったことに解せなくなるレベルで)
『his』の時にも思ったんだけど、今泉監督「ほんとうにどうしようもないけど、妙なところで人情に厚いので振り上げた拳をなかなか下せないタイプのクズ」への解像度が高いな!(どんな感想だよ)
オタクを長く続けているし、推しを推し続けることは難しいし、推しがアイドルを卒業するように、ずっと同じ場所にいられるわけではない。
だけど移り変わる世の中で、また別の推しを見つけることはできる。
前向きなエンドでよかった。
個人的な見どころポイント、松坂桃李の白ブリーフ一丁の猫背。(ログアウトするイケメンオーラ)
一騎当千のフィギュアの顔ペイントの甘さに感じる時代の流れ。
ブラウン管テレビと、デカイカラフルボディのiMac。
いや、平成のオタクへの解像度が高いな!
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