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小学生のとき、竜馬の賞状が逝った事件

もう50年以上前になるが、小学6年生の夏、学校行事として2泊3日の臨海学舎があった。

夕べに、クラス対抗の演芸大会のようなものが催された。

ちょうど、NHK大河ドラマの「竜馬が行く」をやっていたときで、私たちのクラスは、「寺田屋」の竜馬暗殺の場面をやった。

ナレーションの内容が、先生たちに気に入られたのか、竜馬役の子の切られ方がよかったのか、みんなの劇に対する入れ込みが尋常でなかったのか、とにかく、一等賞の賞状をもらった。

20人ほどのグループの、一致団結の証しだ。
担任の女の先生も喜んでいた。


ところが、そこで、ばかなことを言う奴が出てきた。

小学生時代に、賞状というものをはじめてもらう子であった。
「自分の記念にしたい」というのだ。

そして、ほかの大多数の子も、賞状をもらったことがなかったようだ。

「20人で分けよう」という意見が、多数決で通った。
先生が、もし、その場にいたら、必死で止めただろう。

まだ、コピー機のない時代である。


1枚の賞状を20人で分ける、という大胆な案は、即時に、実行された。

A4版ほどの小さな賞状であった。乱暴に20枚にちぎられ、ほとんど字のない白い切れはしもあったが、じゃんけんで順番を決め、みんな、厳かに、自分の分をいただいた。

しかし、いくら、厳かな気持ちでいただいたとしても、
賞状は、全体として存在して、はじめて意味があるものだ。

竜馬の賞状は、はかなく、逝ってしまった。

誰か家まで、無残な紙くずを持って帰った生徒はいたのだろうか。


世の中には、したほうがいいことと、やめておいたほうがよいことがある。

団体の賞状は、団体の賞状として存在することに意味があることを、私たちは身をもって学んだ。

後悔先に立たず…。     

  取り返しのつかないことをしてしまった。

後から事態に気づいた先生は、さみしそうであったが、怒らなかった。
やさしい先生だった。

しかし、今思えば、あのとき、もし先生に止められていたとしたら、この事件も起こらず、私に、今に至る鮮烈な教訓を残すこともなかっただろう。


ところで、この小さな事件があったことは、今もよく覚えているのだが、最初のばかな言い出しっぺが、自分であったような、なかったような、そこは記憶が曖昧である。

が、火のないところに煙は立たない、ということわざもある。

ほかの同級生は、こんなことがあったことを、今でも覚えているだろうか。



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