今度こそ最終回?19xxカルチャーガチ解説番外編。
えーさて。
前回のタイトルに解説編・完結編。
とありましたがまだあったんだよ。
あれですね、プロレスラーが引退宣言してすぐ復活するみたいな大仁田厚パターンでありますこれ。とゆーわけで例によって本家からの過去記事ですが番外編、お楽しみ下さい。
皆様ごきげんよう。
しばらくぶりになりましたが、どうもあの手のガチ解説系やっちゃうとなにしろ燃え尽き症候群になりましたはやいなスタミねえのかよですますはい。
がしかしこのまま何も書かないわけにもいかないので重い腰を上げ今回のお題は
19XX年カルチャー番外編。
またかよ!
ええはい。がしかしこれ続けると、あの時のアレは実は〇〇年のアレがきっかけだった、とかこのアレは実は後の〇〇年のあの出来事に繋がる、とかもう時代を行ったり来たりのバックトゥザフューチャーな無限ループに陥るので、これでほんとに一旦落ち着くつもりです。
んなわけで今回はですね、前回の90年代史で衝撃の最後を迎えた英雄カート・コバーン亡き後のカルチャーの流れを。
やりましょか。
カート亡き後の90年代~2000年代は、音楽業界においてはめっちゃ大きな変革というか、化学反応が起こりました。これ簡単に何かとゆーと。
ゲシュタルト崩壊。
ゲシュタルト崩壊とは・・・元々ある形や構造がバラバラになること。またそれらバラバラになったものがそれぞれ別のものと認識されてしまうことを指しまxxxxx要は
混沌(カオス)
状態をいうんですかね現代的には。本当の意味はもっと深いんでしょうが僕はこんくらいで認識してるので、このまま話を進めます。
今まで書いてきたニワカ音楽史の大まかな流れは。
現状に不満を持つ
→今聞いてる流行りモンも飽きてきた
→日頃のストレス溜め込む
→発散するべき新しい何かを待ちわびる
→ニューヒーロー誕生
→世の中に喝
→喝采浴びる
みたいな流れでしたね。今までは特定のジャンルがそれぞれ固定されていて、その時代に合ったアイコンが誕生、それを他が追随みたいな。しかしここから始まる90年代末期から2000年代に突入すると、この方式が一気に崩れます。ロックはロック、HIPHOPはHIOHOP、パンクはパンク、レゲエはレゲエ、メタルはメタルとまぁ当たり前なんですがそれぞれのジャンルが確立されてたとゆーか、この音楽はこうなんだ!という見えない決まりみたいなもんがあったように思います。がしかし。
2000年代に突入するとこれが、、、
ロック+パンク
ロック+HIOHOP
ロック+レゲエ
パンク+メタル
メタル+HIPHOP
などと組み合わせを自由無限大にしてく現象が起きる。これは今まであったようで無かった、あったにはあったがそれはメインストリームではなかった、言ってみりゃもう新しいものはここから生み出すのは無理か?と考えたかどうかは知りませんが、とにかくここからの音楽史はとにかく自由度バリ加速。
今は普通に流通してる言葉ですが、ミクスチャーというのもこの頃に生まれました。言ったら単一の音楽性でもってやってる音楽以外は全部ミクスチャーじゃないかとも思いますが。がしかし、これはこれでいい効果というか素晴らしいものも沢山生まれました。カルチャーのMIXとクロスオーバーによって、よりカッコいいものを作り出そうという動きが活発になりました。
これは僕もバンドやってたことあって思うんですが、自分が聞いて育った音楽や影響受けたものって無意識に頭が覚えてて、いざオリジナルの曲作るぞ!って作ってみると出来たものがなーーーんかどっかで聴いたことあるな~、、、あ!このリフはメタリカだ!とかガンズのあれだ!とかなっちゃうんです。逆に今まであったフレーズやメロディ、リフを絶対使っちゃダメ!とか縛って曲作ろうと思うとむしろ意識しちゃって無理な気もするし。
とこのように素晴らしきバンドがボコボコ出てきた2000年代。実はこの年代に生まれたスター達の中にも後々シドやカートまではいかないにしても、悲しい事になってしまった人物もいるんですが、ここでは触れないようにします。
とにもかくにも、全部ぶっ壊してバラバラになったパズルのピースを集め直して組み直して新しいパズルとして再生するこの方程式は、2000年代以降から未だに続いてます。これは良くも悪くもとゆーかもう半ば仕方ないことなので、これはこれでアリだと思います僕は。
なのでよく新しい音楽に対して『いやこんなん昔の〇〇のパクリだろ』とか『昔の〇〇と比べたらまだまだだな』とか『昔の〇〇はもっと上手かったよ』とか昔昔昔昔・・・・・・・・・・・・とか酒飲んで若者相手につまらん講釈ばっか垂れる化石オジサンからしたら認められないんだろうけどそんなん言ってたら
プロレス最強は猪木
最高の野球人は王&長島
とかありがちランキングしかり、永久に時が止まったままになる。僕もどちらかというと飲んだらそうなりがちなんですが、今となっては若手の意見に素直に耳を傾けてます。あれがすげーこれがすげーとかの雑談で無駄にヒートアップしてくだらん喧嘩に発展したこともありますし、言えた身じゃないんですがだからこそ反省しております。会話で若手のマウント取ろうとすることってダサいですからね。
とゆーよーに。
あるもの拾い集めて組み直すカルチャーそれが2000年代以降、から今に至る。ちなみにこのあるものぶっ壊し拾って集める手法は発祥に諸説ありますが、一説としては映画『パルプフィクション』が始まりだったとも言われてます。
おお僕の1番大好きな映画。
パルプフィクションの内容については詳しく書くと終わらないのでどーゆーことかと。この映画はネタバレ含みますが話がとにかく前後しながら進みます。初めて見た時はえ?あれ?さっきの話はどーなった?と???が続きました。今となってはこの手の作りの映画は死ぬほどあるので理解に苦しむことは無いでしょうが、当時はこんなん無かった。Aの話が途中でブツ切れBの話が始まる。今度はBがブツ切れたと思ったらCの話になり今度はAの続きになったり。
見続けてくとこれが見事に全ての伏線回収に繋がってくとゆー斬新なものでした。そして特筆すべきはサントラ。この映画の監督であるタランティーノが使う音楽がとにかくカッコ良くて。しかもすげーーー古い曲使ったり新しいの使ったり、ジャンルもバラバラで一見このシーンにそれ使う?みたいなのもあるんですが作品全体通して見てみりゃあら不思議、メッチャメチャカッコいいとゆー。
今までの映画のサントラは、その作品の為に新しく主題歌やエンディングをアーティストと共に作ったりしてました。ロッキーとかETとかゴーストバスターズとかスターウォーズにバックトゥザフューチャーにゴッドファーザー、挙げればキリ無い名だたる名作は全部そうですよね、必ずそれ専用の曲が作られ、そのまま使われてました。これはこれでいいところがあり、その映画がヒットさえすれば曲そのものが映画のイメージに結び付き、双方売れるというメリットも。確かにスターウォーズのテーマ曲流れるだけでなんとなく胸躍りますもんね、童心に帰るというか。
がしかしタランティーノはそんなん無視。
既にある曲を使って自分の映画のイメージに合う曲をそのままサントラに落とし込んだ。要はDJっすねやってることは。
このように、タランティーノはカッコよけりゃ何でもいいじゃん、1から作るなんて手間暇も金もかかるわ面倒だわ、要は古かろーが新しかろーがいいのよカッコよけりゃ戦法を躊躇なく駆使します。
これを見て既存の映画関係者みんな、、、
あ!
そっか!
それでええんか!
とこのシンプルな戦法に流されまくり、あっという間に世の中のサントラの主流はこのタランティーノ戦法になり変わります。このタランティーノ戦法は映画にとどまらず、音楽業界にも影響を与えたのは言うまでもない。
そしてだからこそミクスチャーだのクロスオーバーだのが生まれたってことですタランティーノやっぱすげい。
と、いうわけで19XX年カルチャー番外編。
てゆーか長くなったなカルチャー編。
これにて終了いやまた明日か明後日か来年か。
またお会いしましょう。
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