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今までと違う。

久しぶりに、お弁当を詰めてみた。
息子が二人いますが
長男、次男が高校生だったころ5年間
毎日、お弁当を詰め続け
早く弁当詰めが終わらないかと思いながらも
食べ盛りだし、栄養も彩りも考えて
そして「飽きない」ように
夕べのおかずの残りをうまく利用し
やりくりしてきたなぁと我ながら思いますが、、、
「誰か」(息子)に作るお弁当だから
一生懸命に詰めた

じゃあ 自分は?
忙しい時は納豆ご飯や冷蔵庫にあるもので
ささっと済ませることも多々あった
時間との戦いの日々でしたので
「食べれたらいいや」
というのがあった

時を経て
今では息子たちも
それぞれに社会人になり
お弁当詰めをしなくてもよくなりましたが
はた と考えてみた
「自分のために作ったことがあっただろうか」
「自分のために丁寧であったであろうか」

いつも「誰かのため」の行動だった

この際
自分に丁寧であってもいいのかな
と思うことあり
まずは
自分のためにお弁当を詰めてみた

いただいたタケノコでタケノコご飯
山菜のこごみもいただいたので
こごみのペペロンチーノ
あとは夕べのおかずだった煮込みハンバーグ
いずれも
「自分が食べたい」と思ったメニュー

ご自愛ください
とよく人に言いますが
辞典で調べると

自分を大切にすること。自分の健康状態に気をつけること。
自分の言行を慎むこと。自重。
自分の利益を大事にすること。利己。倫理学で、自己保存の本能に基づいて、自己の幸福を求める自然的性向。
物を大事にすること。珍重すること。とある

相手に「ご自愛ください」と言う場合は
自分を大切にすること。自分の健康状態に気をつけること。
と言う意味になると思うが

健康状態だけでなく
自分を大切にするということは
わたしの中ではヒジョウに難しい問題だった

答えは様々あり
人に答えを求めても 聞いた数だけ答えがあり
情報を集めすぎると混乱もするわけでして

思い切って
情報を遮断する
という方法を選んでみた

自分の答えは自分にしかないのですから
ゼロから始めるためには
(私の場合 リ・スタートであるが)
あまりにも多くを詰め込まないことだった

情報の消化不良
と言うのもあると思う

消化不良になって病院に駆け込むと
ドクターは
「しばらく食べるな」
と言いますね

あれと同じです
胃腸に何もなくなってから健康が回復するというやつです

これが
わたしなりの自愛のやり方だった
それで
先が見えてくるものもあった

何もないから 見通しやすいというのもありますね
あまりにも いっぱい持ちすぎて
大事なものも見えないこともあったであろう

何もなくなった
ゼロになったから
「作りたく」なった

まずは「ご飯」
自分のために丁寧にご飯を作りたくなった
今までと違うことが
いろいろありますが
それらをこれから
こちらで綴っていこうと思います


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