「きょうだい児」仲間である親友のこと。
「きょうだい児」という呼ばれ方が最近では随分と一般的になった気がします。すでにご存じの方も多いかと思いますが、「きょうだい児」とは兄弟姉妹が障害や重い病気を持つ子どものこと。私が大学生になったばかりの頃はこの問題についてまだあまり取り上げられておらず、親友と出会った時にはお互いにとても衝撃的でした。今日はその出会いのお話から。
大学に入って出会ったM。まず見た目が似ているらしく、知らない人に挨拶をされたりした時には「ああ、きっとまた間違えられているなぁ」なんてお互いに思っていました。そして二人ともフルートを吹くので(彼女は幼児教育専攻だったのだけど)、しばらくすると「双子」とか「フルーツ」と呼ばれるように。でもそんな彼女とはもうひとつ共通点があったのです。
仲良くなってしばらく経った頃「私のお兄ちゃん、障害があるんだよね」と言われ、後にMから「あの時、さわこは、そうなんだ〜って普通に流してくれたでしょ。それがすごくよかった」と言われたのだけど‥。
実はその時「私も!」って言おうか迷って、言い出せずにとりあえず出たのが「そうなんだ〜」というひと言だったというだけ。
それからしばらく経ってから打ち明けたのだけど、私の兄は聴覚障害があって、当時の私にはそのことが今よりももっと重く感じられていました。
大学入学までのことをこの記事でさらっと書いているけれど、私が「私立は無理!」と親に言われたのには、兄が大学院へ進学したということも関係していました。障害があるからこそ学歴を‥と考えている親の思いがヒシヒシと伝わってきて、私立文系にいたはずの私が高2の終わり頃から国立大を目指すことになってしまったのでした。
きっときょうだい児あるある!なのは、「この子は大丈夫」と親に思われてしまうこと。そしてすごく無理をしているのに、平気な顔をしてしまうこと。でも心の中では、自分の思いに誰も気づいてくれない、大切にしてくれないと傷ついていたりすることが多いんじゃないかと思います。
大学進学に関係することも、今ではこれでよかったと思っているけれど、当時はたくさんのわだかまりを抱えていました。そんな中で、誰にも言えなかったきょうだい児の思いをお互いに話せるようになったことは本当に心強いことでした。
Mはよく「さわこのそういうとこ好きだよ」と言ってくれていました。でもそれは普通の人が褒めるようなことじゃなくて、不器用なところだったり、ちょっと困った部分であったり。Mは私が抱える生きづらさにこそ、愛おしく思う気持ちを向けてくれているようでもありました。きょうだい児は、親に甘えられなかったり、家の中に安心がなかったり。そんなことが多いけれど、私は彼女から、本当は親からもらいたかったものをもらったような気がします。
でもその親友は40歳を迎える前に、病気で亡くなりました。その時、この世でひとりぼっちになってしまったんだな、と本当に悲しかったけれど、今は、彼女が私に向けてくれていたような眼差しを、私が誰かに向けられたらと思っています。
障害がある人も。きょうだい児も。そして一見何も困っていないように見える人だって。生きていくのは大変で、きっとそれぞれの苦労があるはず。私も彼女のように「わかるよ」「そういうとこ好きだよ」と伝えながら、大切な人たちが自分を歪めたり無理したりすることなく、安心の中で生きられるといいなと思うのでした。