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夢か金かの選択 〜あと5日〜

昨日の続きで、noteの毎日投稿を続けるかやめるかの検討をする。タイトルの意味は、「noteを書くことは小説の質向上にもつながる」という仮説を立てると、それをやめることはすなわち夢を遠ざけるということ。逆にnoteを毎日書いて、現在できていない小説の執筆も進めるための時間も確保するとなると、勉強の時間が制限される。勉強は将来のキャリアに影響するので、金が減ることになる。

自分の思考整理が主な目的なので、文章が散らかる可能性があるが、ご賢察いただきたい。

今日はそもそもの、毎日投稿の目的を見つめ直すところから始める。
・文体の獲得
・気持ちの整理(inとoutのバランス確保)
大きくこの二つだ。

文体の獲得

これはnoteの毎日投稿以外を目標に立てても達成できる。当初の目的としては一番強いものだったが、今ではトレードオフで小説を書かなくなっているので、意味がなくなっている。文体の獲得のために、「書く量を増やす」ことが目標だったが、それが果たせなくなっている。

気持ちの整理

これも、最近では朝活で言いたいことをたくさん述べて、議論までできているので、現状ではほとんど不要である。

 ◇◇◇

目的がなくなった?

毎日投稿をやめたくない理由は?
・小説家になることを諦める感じがして嫌
・読んでくれている人がいる

noteをやめたくない理由は?
・誰かに読んでもらいたい
・たまに、小説に直結するアイデアが出てくる
・短編小説が捗る

 ◇◇◇

小説家になることを諦める感じがして嫌

こういう感情はありがちなものだろう。人は自分の欠点が露呈することを嫌うが、その欠点の種類によっては許容できるものと、できないものがある。その境は曖昧だ。例えば「知らない」ことは大きな欠点になり得ないことを、大人は経験則で学んでいる。「知っていたけど忘れた」は、状況によっては強い辱めを受けることも、可能性として理解できる。「知っていたのにしなかった」は、仕事上では強く怒られ、威厳をひどく損なう危険性がある。何事も似たようなセグメントに分かれている。「小説家になれない」ことや「サラリーマンが小説家を目指す」ことはそれほど恥ずかしいことではないが、「ただのサラリーマン」は威厳を失いやすくなる。私は心の拠り所として、夢を追いかけるという姿勢を保ちたい。

まとめ

30分経って、区切りをつける。なんだか、どんどん言い訳を思いついている。嫌な気分になってくる。「目的を失ったから努力をやめる」というのは自分を納得させやすい。認知的不協和への常套手段だ。だからと言って、その言い訳は論理的に正しい場合もあるので、心が晴れない。明日も、また他のアプローチから続ける。

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