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佐和島ゆらが自分の作品を読んでもらうため、自分の作品をレビューした「ゆうれい女房と男」

皆さん、こんにちは。
佐和島ゆらです。
たまにお金もらって、小説やボイスドラマの台本を書いてますが、基本は小説を書くのが好きすぎる人です。
最近はまっているのはFF14というゲームで部屋作り(ハウジング)をすること。
自作品の感想に飢えるあまり、自分で書いちゃったという、自分に対するラブレターというか、なんというかよく分からない企画です。よろしくおねがいします。ちなみに今回出した作品は同人誌でWEB上で全てを公開しておりません。ネタバレは考慮していますが、カンが鋭い人は分かるかもしれません。あしからず。

ゆうれい女房と男(完全版)

あらすじ
二年前に亡くなった妻がゆうれいとなって戻ってきた。
困惑しながら、事態を受け入れて妻と過ごす男。
いつまでも続くと思っていた生活はやがて崩れていく――――

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冒頭だけを読んでみると
ゆうれいのわりに明るい女房と、融通がきかなそうな男のやりとりが非常にコミカル。
ほのぼのとした夫婦の物語なのかなと思った。
ただ、冒頭から不穏と言えば不穏である。
中原中也の春日狂想の詩の一部が引用されている。

――愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

妻は病気で体が弱く、入退院も繰り返していた。それも子供の頃からである。
それでもひたむきに生きているように見えた主人公、仙堂は恋をする。
全てを通して思うのは、仙堂にとって妻、葉月は運命の女だったと言うことだ。
そしてその運命は死によって、引き裂かれたのだ。
二年経過しても、ひとつも前向きになれない仙堂のもとに、葉月がどうして来たのか。
それは本編では語られない。
ただ切々と仙堂の葉月に対する、執心が垣間見れる。そして葉月の慈母のような愛も。

この話で葉月は一部でしか、本心が分からないが、彼女にとっても仙堂は救いのような存在だった。
ある種の王子様と言える存在だったのだろう。
だが一度死んだ彼女は、もう一度くるお別れには観念していた。
今度こそ、ちゃんとお別れしようと思ったのではと読み終わった後に思った。

たとえばの話である。死にゆく身で、残るモノに何が残せるだろうか。
お金、著書、意思……さまざまなものがあるが、それを残したとして、どんなモノにも待っていることと言えるのは「生活」ではないだろうか。彼女の提案は自分の持っているモノが、この後に続き、仙堂を助けますようにという愛そのものなのだろう。
それを仙堂が受け入れたとき、物語は終焉を迎える。

最初の頃はごはんもろくに食べれなかった仙堂。
しかしエンディングの彼は、ちゃんとごはんを食べられるはずだ。
そんな確信が満ちたエンディングだった。

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今回、レビューした自作品。
「ゆうれい女房と男(完全版)」は
2019年4月6日開催(場所:大田区産業プラザPiO)
うちの子が一番カワイイ!2019( http://uchikawa02.hondel.events )
にて、頒布します。是非ともご購入下さい! 
切なく優しいとある夫婦の物語をお届けします。

サンプル版はこちら
https://note.mu/sawajimayura227/n/n0c957d45d28d

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