見出し画像

化け猫と博正

 夏の終わり、猫は人の祭りを楽しめないのか。

 蝉が鳴る中でお囃子の声が聞こえてきた、私は真昼から締め切った障子戸を開けた。調子のいい笛の音と、太鼓の響き、子供達は一生懸命に御輿を担いでいる。
 あぁ、今日は祭りだったのか。ぼんやりとした頭で、囃しの音が耳に染み込んでいく。
 そういえば一ヶ月前から御輿の準備がはじまったり、神社前が騒がしくなっていたり、老若男女の騒がしい声が聞こえてくることはしばしばあった。そうだ祭りの準備をしていたことは分かっていたのに、祭りの存在は忘れていた。
「博正殿は仕事が忙しく、祭りの手伝いなんぞしておりませんからなぁ……」
 今日の猫は変化が中途半端だった。長い黒髪から猫の耳先が見える。私の飼っている猫は化け猫である。齢十五歳。十三の時に死んだとされているが、化けて戻ってきた。人間の姿と猫の姿、二つの姿を持ち、時折金蔓になる客を連れてくる。本人曰く、猫は色々と持ってくるのが性という。
「そうだ、今はこれをしないといけない……」
 私は万年筆を文書机に置いた。
 私の職業は文字書きである。私の住んでいる地域は文字を書いたり読んだりする人間はそれほど多くない。しかし役所や人を頼みごとをするときは、文書が基本であることから、代理で書類作成をする仕事が成り立っていた。今は収穫時期、その収穫で払われる負債の増減を、庄屋に頼まれて作成していた。この一ヶ月、見込みを元に作っているが、もう何日もろくに寝ていない。
「博正殿、鞠の代わりの転がるものがありませんかね。もう飽いてしまいました……」
「飽いたなんて、お前も何かで手伝わんか。こいつの計算をそろばんで……」
「私は猫です、そろばんは楽器です、計算なぞ知りませぬ」
「それもそうだが……」
「それよりも博正殿。もう少し、気を抜けばいいのに……つまりませんわ……」
 猫は将棋の駒をつぅと動かして、一人で将棋の駒を崩していた。
「私には博正殿しか遊び道具がありませぬ……」
 なかなか不穏なことを言い出す猫である。私を道具だという。一応十五年を育てたというのに、こいつにとっては私は主人どころか遊び道具……なのか。
「私に気を安らぐことを求めるな。とにかく仕事をこなさねばいかん」
 私はため息をついた。そしてまた万年筆を動かした。猫はつまらなそうに、口笛を吹く。
 その音色が少女の出すかすれた音なもんだから、ひどく哀愁が漂う。そういえば、この一月、私は猫に何かをやっただろうか……そう思うと急に腹の底が苦しくなった。

 御輿の声が子供のそれから大人のものに変わる夕暮れから宵の頃。黒猫姿にもどってうつらうつらとしていた猫を起こした。
「どうされました……博正殿」
「お前はよく寝るなぁ」
「寝る子(ねこ)ですもの、しょうがありませんわぁ」
 猫は大きくあくびをする。そしてきょとんと私を見た。
「あら、博正殿。仕事はどうされました」
「だいたい終えた」
「おや……」
「縁日に出かけて、酒のつまみを買いたかったんだ」
 私は肩こりがする肩をほぐすように大きく回した。それに猫は。
「おやおや、おやおや」と笑った。それから私の肩に細腕を回す。
「博正殿と縁日ですかぁ……くふふふ」
 少女姿になり、私のうなじを頬で撫でる。三十路間近だが貧相で神経質な顔立ちの男には、細面の少女はひどく邪な光景に見えなくもなかった。
「猫は嬉しいですよ」
 猫は喉の奥をならして、唇の端をあげた。
別に猫のためではない、縁日に行きたくなっただけだと言いたくなったが、何故か猫の瞳を見ているとこれ以上のことが言えない。
 くたびれきった着物を脱ぐ。そして浴衣をタンスから引き出した。着替え終わると、猫も紅い生地の浴衣を着ていた。黒い猫が浴衣に大きく描かれている。
「さて、行きましょか。博正殿」
「あ、あぁ」
「私の手を引いてくれませぬか?」
「何故だ」
「迷子になってしまったら、大変ですので」
 猫は意外となわばりが狭いのですよと猫は舌を出した。
「うそつきめ」
 私は細い猫の手を取った。表の世界では時々うちにやってくる、私を慕う姪となっている。姪に頼まれて、手を絡んでいるだけと周りは思うだけなのが幸いだった。
 そうして私は猫と祭りに出かけた。

 イカ焼き、水風船、リンゴ飴、きゅうりの一本差し……祭りはずいぶんと賑わっていた。紅の提灯が並び、威勢の良いかけ声が聞こえてくる。
 猫はそれに目を輝かせながら、しかし私に何かを頼むことはなかった。
「どうした、食べないのか、遊ばないのか」
「そうですね、遊びたいし食べたいのですが、私は人間ではありませぬ。人間の食べ物を食べるとこの身が汚れてしまいます、味が濃いものが多いですし……口に合いませぬ」
「そうなのか……」
「遊ぶとしても爪の先がほれ細くなって、水風船など割ってしまいますし。金魚なんて食べたくなってしまうので……やはり」
 私を腕を組んだ。
 遊んでやれば、猫の気は紛れるかと思ったが。いやけして猫のために祭りの縁日に来たわけではない。別に酒の肴を買って帰ればいい。しかし祭りという特別な空気を、猫はあきらめを持ちながら、自分の視点で楽しみたかったのではないかと思った。そうでなければここまでついて来ないだろう。
「お前は……」
「なんでしょ」
「こういうところは好きなんだな」
 猫はつっと視線を揺らす。黒髪を揺らす。
「私らは人の営みのとなりにいるものでしたから」
 猫は深く息をついた。
「人が楽しいと、私らも楽しくなるんですよ」
 けれど人とはなかなか混じれませんけどね、化け猫になってしまうと。
 猫は長く育てない方がいいとされている。化け猫になって人の世界にまぎれこんでしまうからと言う。人間は人間の世界があり、猫には猫の世界がある。その領分を侵す存在になりかねない化け猫は、肩身狭くなく生きるのが難しい。人から離れて山に行けばいいというものもいる。
「縁日に、きっとお前でも遊べるものもあるさ」
「まぁ、うれしい。慰めてくれるのかしら」
「別にそうではない」
「はつかねずみなら遊べますよ」
「馬鹿、死体を部屋中に散らかすだろう」
「それもそうね。でもハツカネズミは生きが弱くてすきではないのよ……」
 猫は歩き疲れたらしい、神社の石柱に寄りかかる。私はそれを見て、帰るとか言うと猫は頭を横に振った。
「いーえ、まだ楽しみたい……」
 私は彼女に水を与えようと、紙筒に神社のわき水を汲見に行った。彼女はゆらゆらと手を振った。
 水はすぐに汲めた。縁日の間を通り抜けて、猫の元へと向かう。その途中で一際大きな男の声が聞こえた。
「すぅうぱぁ、ぼぉおるはいかがかいー。天まで跳ねる面白いボールだよぉお」
 思わず立ち止まって見てみると、透き通った水の中に白玉くらいの様々な色のボールが浮かんでいる。
 のぞき込んだ私の横にいた親子連れの親は、不思議そうに袋に入れられたボールを見た。
「これはいったい、何で出来てんだい。あまり見たこともないが……」
「ゴムだよ、ゴム! ゴムが跳ねてんだ」
「ゴムがこんな可愛らしくなるのか」
 驚く男に、ポイを渡してくる店主は大きく頷いた。
「そうだよ、どこでも跳ねるから、子供は大喜びだよ」
 丈夫だしねといいながら手広く商売をする男を見ながら、私は浴衣の袂からいつのまにか財布を出していた……。

「博正殿、遅かったですなぁ」
 猫は水を飲みながら、頭を傾げた。それに私はそうだなと咳払いする。やはり猫の様子が良くなく、家路につく。
 からんからんと下駄をならして猫はお囃子の音に耳を澄ませる。
「やはりいいものですなぁ……祭りは」
「そうか……」
「また行きたいものです」
「そうか……」
 私は隠し持っているスーパーボールの取り扱いに困りながら歩いていた。それに気づいたのか、猫はじぉぉと私を見てくる。
「博正殿、何かお隠しで?」
「いや、まぁ……まぁ」
「何、猫にお聞かせを。何も出来ませぬが」
「う、うむ……」
 私を意を決して、猫にスーパーボールを見せた。猫は赤や黄色、桃色のボールに目を丸くする。
「あら、随分可愛らしい」
 しかしそれは隠すようなことだろうかと猫は不思議そうである。私は袋からボールを取り出すと、とんん地面に落とした。コンクリ叩きの地面に大きくボールは跳ねて、そして私は暗闇を見定めてボールをつかもうとした。しかしつかめなかった。跳ねるボールを追いかけて闇の中を走る。幸いボールを見つけたので、ほっと胸をなで下ろした。
「まぁまぁ」
 猫は大きく声を上げて、私の背中にひっつく。
「まぁまぁ、博正殿、なんですの、なんですの。このボールは」
「面白いものだろ」
 私はにんまりとしながら言った。猫は大きく笑いながら頷いた。
「ええ、重畳の至り」
 その言葉が聞こえた途端、後ろから花火の打ち出す大きな音が聞こえた。天に火の花が咲く。
 今年の夏が終わろうとしていた。猫はごろごろと喉を鳴らしていた。


#掌編 #小説 #夏 #猫

小説を書き続けるためにも、熱いサポートをお願いしております。よろしくお願いいたしますー。