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そのとき背中に触れたもの 1

貯金なんて美しいものどころかスーツケース一個と片道分の飛行機のチケットだけ持ってやってきた東京での生活も気が付くと1年が経っていた。

多くの人に助けてもらいながら、赦してもらいながらなんとかまだ人間として生活ができている。

ほとんど衝動的に九州の地から足を離したのだが、不思議なことに後悔はない。この衝動に従ったことに悔いはない。ただ衝動という言葉は「強く心を突き動かすこと、発作的に行動しようとする心の動き」らしい。
これが途切れた時僕は果たして同じように断言できるのか、それはまだわからない。

今回はこの1年を振り返って感じたことを書いていこうと思う。
しかしながら、僕は話が長いことで身内では通っているからおそらく、いや、必ず付随的に自伝的な話が出てくるだろう。「自分語りかよ」と世間的に言われることが一般的になっているが僕はあまり好きではない。というのもこのような媒体はコミュニケーションの場ではなく無限大にある空間に0から空気の波を起こしてどこかの壁に反響するのをただ待つことしかできないからである。反響して違う波になって僕のに届いたときの感動を想像しながらただ1文字ずつ波を作るしかないのである。だからこそ、自身が感じてもいない、無味無臭の波は虚しすぎるではないか。

さて、勘のいい方はもう気づいているだろう。既に話が逸れている。
本題に行く前のこの時点で多くの読者はブラウザバックしているだろう。
ここまで読んでいる人はすでに数パーセントになっているのは容易に想像がつく。
まぁ自分語りが多い僕でも、何も成し遂げていないヤツの自伝ほど格好の悪いものは無いという感覚はギリギリ身に着けているので、そこは気にしつつ書いていく。


僕が会社を辞めたのは2021年の10月。
会社の人には話していなかったのだが入社する前に半年で辞めることは既に決めていた。
事の経緯は下の記事に書いている。

僕はラジオへの憧れを抱いた。どんな道を進めばいいのかなんて何もわからないまま、ただどうにかこの心が震えるなんと呼べばいいかわからない感情を現実の夢へと捉えるために会社を辞め、その2か月後に東京へ飛んだ。

冒頭で書いたように僕は東京で部屋を借りるほどの経済主体ではなかったので友人に居候させてもらった。一か月といいつつも結局のところ三か月も居座ってしまった。本当に申し訳ないし感謝している。
僕の衝動が強制的に鎮火されなかったのも友人のおかげでしかない。
この場でもお礼を言わせてほしい。まぁ当の本人は読んでいないだろうが。

こうして僕は順風満帆人生謳歌東京ライフをスタートさせた。
自分で打っておきながらほとほとうんざりする字面である。
僕はこのとき自分は戦略を練るのがとことん苦手なんだと気づいた。
そういえば夏休みも宿題も計画的にできたことなんか一度もなかったのになぜ自分は出来ると思い込んでいたのか。少し時間が経った今では疑問でしかないのだが、この思い込みが自分の原動力なのかもしれないと気づいた経験がある。
あるラジオパーソナリティが言っていた、番組コーナーでのリスナーの痛いネタメールに対して「自分は面白いと勘違いして養成所で現実に打ちのめされるヤツ」という発言である。まぁそのまんま僕が当てはまるわけだが、僕はなぜかこれでいいんだと腑に落ちた。
昔から心配性で知らない道を歩くのも断固として拒否していたくらい臆病だった人が不安定な人生の代表格を目指すのだから一歩を踏み出す何かしらの力が必要なのだ。
それが誰かの言葉であったり、長年育ててきた自意識であったり。

勘違いで上等じゃないか。現に僕は前に進んでいる。

そんなこんな感情を胸に秘めつつも不安というものは唐突に襲ってくるものである。居候しながら日雇いバイトで働きつつ、どうにか道を作れないものかと模索していた日々のある日、僕は自分でも気づかないうちに擦り傷を負っていたらしい。冬の乾燥した部屋にいつのまにか浸食していた夕暮れの影の中、一人だった僕はうずくまっていた。この歳にもなって息をひそめて嗚咽を出すとは思わなかった。生きていくには寂しすぎる資金、新卒1年目という時間を捨てている事実、読んでいて愉快なものではないので割愛するが概ねこんなものが大きな渦を作っていた。

完全に蛇足なのだが、こういった内容を目にしたときに「自分が選んだんだろ」と考える人が一定数いるようだが、そんな人には映画、ドラマ、漫画、小説、ストーリー性のあるゲームなどを摂取することを強く勧める。

話を戻そう。

僕がこのエピソードを書けるのは、続きがあるからだ。
会社員時代から、いや、もっと前だろうか。
自分の中に渦ができると意識的に行っていたのがラジオを聴くことだ。
もちろん凪であってもラジオは聴いているが、こういうときは必ず聴くようにしている。番組から流れる話を頭に強制的に流して、僕の中の占有率を逆転しようとしているのだろう。
そのときは普段から聴いているアルコ&ピースのラジオを聴いた。
基本的に嘘しか言わない彼らの話はこんなとき何も考えずに笑える。
少しずつ涙も収まり、いつの間にか渦が小さくなっていた。
リスナーからのコーナーメールが届く。
かなり面白い。パーソナリティも僕も思わず笑ってしまう。正直内容も覚えてないぐらいくだらなかったと思う。
だけど、面白い。
そして、泣いた。
大きな声が出てしまうぐらい笑いながら、泣いた。
幼少期、親に助けを求めるように隠そうともしない嗚咽を交えながら、泣いた。
これがなんの涙なのかはわからない。
ただ、さっきまで渦の中にいたものとは確実に違うなにかだった。

自分でもかなり不思議な体験をしたと思っている。
1年経った今でもあの感情をうまく言語化できない。
ただ、無理にしようとも思わない。今度は僕がそれを経験として届ける番だからだ。


と、思ったのは実は後付けなのだが、こうしたほうがまとまりがいいのでそのように休符を打つことにする。


さて、ここまでが上京して2か月である。
いや、ちょっと待て、このペースだと書き終わらない。
自分でもちょっと引いている。話が長すぎる。
けど書きたいことは別のことだったので、一度ここで終わらせることにする。

駄文、長文を読んでくださった方、本当にありがとうございます。
まだこれから先のことも書くので機会があれば僕の作った波を受け取ってほしいです。

それでは。

お読みいただきありがとうございます!

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