子どもだって色々大変なんだ

"Lillebror" af Kim Fupz Aakeson, Rasmus Bregnhøi, 2010 Denmark 「おとうと」キム・フォップス・オーカソン作・ラスムス・ブラインホイ絵 絵本 デンマーク

「ぼくの兄ちゃんは中学生だからなっ!」といえば、たいていのいじわるなクラスメートはおとなしくなる、という風景は、今の日本でもまだあるのだろうか。子どもの年齢や力関係をユーモラスに描いた作品。

主人公のエリアスには、もうすぐきょうだいが生まれる。ママは大きなおなかで、最近変なものばかり食べている。エリアスのパパは、引越ししたばかりでまだ友達のいないエリアスに、外にいる子たちと一緒に遊んでおいでと促す。仕方なくアパートを出て中庭で遊んでいる男の子たちに近づくと、その子たちはエリアスよりずっと大きく、エリアスに見向きもしない。そこに突然ボールが飛んでくる。エリアスがおろおろしていると「そこのチビ、早くボール持って来いよ!」と言われる始末。そんな大きな男子たちから隠れるようにして過ごすエリアスは、きょうだいができると、今度は自分が弟/妹に偉そうにできるなぁと想像をふくらませる。「弟がいいなぁ、そうしたらカッコいいお兄ちゃんになって、弟に何でもぼくの言うことをきかせるんだ」とエリアスは想像する。ママのお腹は日に日に大きくなり、ついに出産のときがくる。病院についていくエリアスとパパ。立ち合い出産を終えたパパは、エリアスをドア越しに呼ぶ。少し躊躇しながらパパの口から出てきた言葉は「えーっと、それがな、そのー、お、おねえちゃんだった」。あまりに驚いて、飲みかけのココアのコップを落としてしまうエリアス。そして分娩室からでてきたのは、目つきの悪い大きな女の子だった!「そのチビだれ?」という姉に、パパは「えーっと、きみの弟だ」。「なんで、そんなにぶっさいくなわけ?」と言いたい放題の姉。結果、弟が産まれるという幻想ははかなく散り、エリアスは完全に姉の支配下にされてしまう。がっくりして外へ遊びに行くと、以前から遊んでいた大きな男子たちに絡まれてしまうエリアス。おろおろしていると突然、エリアスの姉が登場し、男子たちに向かっていく。「あたしの弟にそんな態度をしたらゆるさないからねっ!」とすごむ姉に、男子たちはやられてしまった。エリアスは、弟でなくお姉ちゃんができるのも悪くないと思ったのだった。

この本の作者、キム・フォップス・オーカソンは、先日紹介した「少年ヴィテロシリーズ」の作者。児童文学は子どもたちのリアルな現実になるべく忠実に描いた方が良いという意見の持ち主だけあって、今回の絵本のテーマである子どもどうしの力関係を、ある意味とても現実的に描き、そこにラスムス・ブラインホイのイラストがユーモアを添えている。子どもは誰でも仲良しとか、喧嘩しても後で仲直りできるとか、大きな子は小さな子に優しくないといけないとか、そういう理想論的なところから入らず、大きな子に邪魔扱いされたり、突然登場する姉に理不尽な扱いを受ける主人公を描いて、小さいってほんとに色々と大変だよね、という、子どもの日常的な現実に寄り添っているなと思う。もちろん結末では、お姉ちゃんからも助けられ、いじわるな大きい男子とも遊べるようになるので、デンマーク人の好む、ハードなソーシャルリアリズムで終わる、ということのない仕上がりになっている。そこがまた、この人の絵本に愛着を感じる人が多い理由かなと個人的には思っている。

このお話の舞台はコペンハーゲンのアパート住宅。コペンハーゲンのアパートはロの字型に建てられていることが多く、真ん中にアパートの住人用の中庭がある。街の真ん中にあるアパート群でも、オアシスのように緑の芝生の生えた大きな中庭があったりするから面白い。GoogleMapでコペンハーゲンの地図を眺めると、そういうロの字型のアパートがいくつも出てくる。この中庭には、ごみのコンテナや、自転車、クリスチャニアバイクなどが置かれていて(まさにこの本のイラスト通り)、中庭の大きさにもよるが、子ども用に砂場やブランコが設置されているところも多い。街中で暮らす子どもたちでも、住人専用の中庭なら、車も知らない人も来ないので安心して遊べるため、暖かい時期には子どもたちがよく遊んでいる。普段は学校だけでなく、学童でも学年ごとに分断されている子どもたちも、こういう環境になると(昔は当たり前だった)異年齢の子どもと遭遇することも多いため、この物語のような場面も実際あるだろうなと思う。


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