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毒を抜いてくれる場所

山もなく家にばかり囲まれた場所にいると、自然と肩ひじを張ってしまう。

いや、勝手に肩ひじはるという言い方の方が正しいかもしれない。

窓を開けて見えるのは隣の家のベランダ。  

遠くに見えるのは工場から出る煙。

聞こえてくるのは、向かいの家のお母さんの子どもを怒鳴りつけている声。

近くの家から聞こえる赤ちゃんの泣く声。

激しく鳴らされるバイクの音。

プアーッというクラクションの音。

どれも、私の体から私を奪っていく。

私を奪われた体は、だんだん、だんだん固くなって、バキバキに凝り固まっていく。

――――うちの息子は、よく妹と仲良く遊んでくれるの。
――――下の子はまだ小さいから、夫が見てくれてて……。

幼稚園の集まりで、そこかしらから聞こえてくるきょうだいの話。

誰も、もちろん悪気があってソレを話していることではないことは私が一番よく分かっている。

けれど、二人目不妊4年目を迎え、最近二人目を授かること――妊活――をやめることを決断したばかりの私にとっては、ナイフで心臓の部分をえぐられているように感じる。

どうして、みんな妊娠するのに、私には無理なの。

私のところに来たいと思ってくれる子がいないのかもしれない。

ちっこくてどす黒いものに心が覆われていくのを感じる。

近くの家から聞こえてくる赤ちゃんの声も、今の私にとっては、耳を塞ぎたくなるような声だった。

うるさいっ!!!!


そう叫んでしまったら、絶対に駄目な気がして。

も、もう心はバキバキに固まってしまっていて。


どこか、遠くへ逃げたくなった。

知り合いも誰もいない場所。

赤ちゃんの声も、向かいの家のお母さんが子どもを怒鳴る声も、幼稚園のママさんたちの話す声も、なんにも届かない場所。

社会から断絶された場所へ行きたい――――。

気付いたら、私の目からはぽろぽろ、ぽろぽろと涙が溢れ落ちていた。

私は、夫と6歳になったばかりの息子を誘って、那須塩原へと旅に出ることにした。



スピーカーからヒーリングミュージックではない。本物の川の流れる音がすぐ近くで聞こえる。

言葉にしようとすると難しい、絶え間なく流れる川の音。

それは、ざぁざぁのような気もするし、ざわざわざわ、とうとうとう、のような気もする。

目を瞑ると一層、川の音がすぅっと耳に流れ込んでくる。

目を瞑ると自分がいなくなる。

そして、風になったように、自分自身が川の音に溶けていく。

近くで鳥が鳴く。

木々が揺れる。

木の匂い。

緑の匂い。

畳の匂い。

今、ここにある全部が私を私に戻していく。

体の中から全ての毒素が抜けたようだ。
いや、毒が抜けたのかもしれない。

あそこにいると、私というフィルターを通して、いろんな言葉が音が匂いが「毒」へと変わる。

自然というものは本当に偉大だ。

ここに私がいるだけで、毒を吸い取ってくれるのだから。

私の体から出た毒は、木々や川たちが光の粒に変えて、空へと返してくれている。

そんな気がしてならない。


ありがとう。


小さな声でそう呟いてみる。



文豪である、松尾芭蕉や与謝野晶子にもゆかりのある土地だという那須塩原という場所。

小説家を目指している私にとって、彼ら、彼女らと同じ景色を見ているというのは、感動以外のなんでもない。

この景色を見ながら、どんな詩を詠んだのだろう。

偉大なる先輩方のように私もなれるだろうか。

いや、なる。

……海賊王になろうとしているルフィのように強気でそう言えたらいいけど。

帰りたくない。

でも、帰って頑張ろう。

小説を書こう。
書籍化を目指して。

毒を抜いてもらった私は、きっとまた前を向いて頑張れる。







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